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響が言うと、「もう買った」と英司がニヤリと笑う。
最終審査まであと一ヶ月。一ヶ月もあれば、宮下の事件も風化するはずだ。すでに木之原に一面を譲っているし、ネットやSNSに世界中の情報が溢れている現代では、人の噂は七十五日も保たない。さらに響たちのカラーがコンペを取れば、バイオセキュアテックの株価は跳ね上がるだろう。
「それじゃ、スケジュールの変更はなしだな。……響、事件関係で何個かイレギュラーな案件が入るけど、大丈夫か?」
英司が真剣な顔になる。響の心配をしてくれている友人に、強気に笑ってやる。
「大丈夫だよ。無料でカラーのプロモができる」
「さすがボス。無理すんなよ」
英司も笑って、パソコン画面に目を向けた。いくつかのタスクについて話し合い、互いに仕事がひと段落したところで英司が顔を上げた。
「そういや、イチは?お前の家にいるの?」
「うん。今買い物行ってるよ」
最近は、マスコミや記者に見つかるのが面倒で、プライベートの外出は極力控えている。日用品などの買い出しは、今日のように壱弥に頼むことが増えた。
壱弥は退院後、問題なく体調も回復し、以前と変わらず響のボディーガードを続けている。
響は、壱弥が倒れる前から、彼の様子がおかしいことに気づいていた。
響が通常の症状でヒートになった日から、壱弥は響を露骨に避けるようになった。ハグはおろか、近づくことさえしない。今までがスキンシップ過多だった分、余計に不自然な態度に感じた。けれどそれは、響との接触を拒んでいるというより、怯えているように見えた。
壱弥が響を避け始めた時期と、壱弥の態度、そして木ノ原から以前聞いた、フィアラル・アルファの仮説。それらを踏まえ、彼は自分に発情したのではないかと、響は考えた。
もしそれが事実ならば、壱弥を側に置いておくことは出来ない。周期が不安定になってしまった為、いつヒートになるか分からない中、発情するアルファはもっとも危険な存在だ。すぐに壱弥に事実確認をしなければいけないのに、響はそうしなかった。出来なかった。
――本当に壱弥が発情すると分かってしまったら。壱弥と離れる?彼が自分の側からいなくなる?
考えるだけで呼吸が下手になった。
本質的、長期的、客観的に物事は考えなければいけない。頭では理解している。それなのに、幼少期から教え込まれた理論的な思考回路はまともに働かない。
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