天使のキス

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天使のキス

 これから天国に帰って、始末書を書くのだろうか……大変だなあ、と同情しかけたその時、 「ひとまず、今日はこれで」  そう言って、天使は顔を近づけ、僕の額にキスをした。 「え……?」  額に触れた天使の唇は予想以上に柔らかく、ひんやりとしていた。天使の羽が、梅雨の名残りの気配をうごかして、僕の頬にあたたかい風が吹く。なによりも、天使はとてもいい匂いがした。とろけるような、懐かしいような、不思議な匂いが。 「ど、どういうこと!?」  ただのサラリーマンの部屋に、天使が舞い降りて、キスをする。一体、どういうことなんだろう。僕は、額を抑えながら何も言えず目を見開いていた。  天使は、僕の戸惑いなど気にしない様子で、月光に羽根を煌めかせている。背後では窓ガラスが割れているのだけれど、それさえも美しい装飾のように見えてしまった。 「天使のキスは、しばらく幸運をもたらすんです」 「そ、そうなんですか?」 「ええ……。もう一度、私が来るまでの、お守り代わりに」  そう言って、天使はふわふわのスカートを両指で持ち上げ、頭を軽く下げた。まるで、ドレス姿の貴婦人のように。 「また、お会いしましょう」  そう言うと天使は、面食らう僕の手から流れ星をそっと受け取る。触れ合った指は、かすかに冷たい。けれど、嫌な冷たさではなかった。  まだ戸惑っている僕にそっと微笑むと、天使はスウッと消えた。来るときは、律儀にベランダからそっと入ってきたのに、出ていくときは、一瞬で消えてしまった。こちらが本当の、天使の姿なのかもしれない。 「何だったんだ、今のは……」  僕は思わず呟いた。天使の去った部屋を見渡せば、今の出来事が嘘のようにいつも通りだ。台所には皿や器が、床にはペットボトルや読みかけの雑誌が点在し、洗濯機前には、洗う前の服や下着が積まれた部屋。まるで今のことは現実とは思えない……けれど、割れて飛び散ったガラスを見て我に返る。  そうだ。このガラス、一体どうしたらいいんだろう?  僕は、天使にキスされたばかりの額に手を当てて、考え込んでしまった。
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