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夢の話
「あ、いえ、アパートの窓ガラスの修理代、どのくらいなのかと思って」
「窓ガラスが割れたの? どうして?」
青井先輩は、食べ終わった弁当箱を洗いながら、尋ねた。僕はぼんやりしながら、うっかり、
「流れ星が部屋に飛んできて」
と答えていた。考え込みすぎていて、頭がよく働かなかったのだ。
「流れ星?」
「あ」
怪訝そうな青井先輩の顔を見て、「やってしまった」と気づいた。
「なあに、それ。夢の話?」
「そ、そうです。あはは。そんなのが現実にあるわけないですよね」
「でも、面白そうね。どんな内容だったの?」
「ええと……」
僕は少し戸惑ったが、流れ星がアパートの部屋に落ちたこと、天使がやってきて、それを持って行ってしまったことを、つっかえながらも話した。夢だと言っているんだから、ファンタジーが沢山入っていても許されるだろう。
「お礼はキスひとつか。面白い夢ね」
ふふ、と笑いながら、青井先輩が言う。
いつもにこやかに笑っているけれど、今日の微笑みは少し違う。仕事用ではなく、プライベート用というか。新しい一面を見たようで、僕はドキドキした。
「でもその天使、『また、お会いしましょう』って言ってたんでしょう? きっとそのうち、ちゃんとしたお礼をもらう夢を見ると思うよ」
「夢の続きですか……」
そもそも、あれが現実だったかどうかさえ、僕はまだ疑っているのに。窓ガラスが割れたショックで、現実逃避したい僕の脳みそが作り出したファンタジー。そう考える方が、辻褄があう。
「どちらかというと、窓の修理代が欲しいですね。今日も雨戸閉めっぱなしですし」
「あら? 窓ガラスが割れたっていうのは、現実の話なの?」
しまった。この話、どう収拾をつければいいんだろう。
「ええと……そうなんです、あの、窓がちょっと、何かのはずみで割れてしまって……まだ借りたばかりの部屋なのでショックが大きくて、それで変な夢を見たんだと思っています」
「まあ。それで天使にキスされる夢を見るなんて、藤原君って、ロマンチストなんだね」
青井先輩は、洗い終わった弁当箱を拭きながら、言った。
僕は、その楽しそうな顔を見て、新鮮な気持ちになっていた。そういえば、青井先輩と仕事以外の話をするのは、初めてではなかろうか?
「そういえば、藤原君と仕事以外の話をするのって、初めてじゃないかな?」
考えていたことと同じことを言われて、僕はドキリとした。実を言うと、青井先輩と話をするのは、ちょっと緊張するのだ。とても仕事ができる人なので、会社で「劣等生」扱いの僕はつい、引け目を感じてしまう。
青井先輩みたいに素敵な人と、急に、こんな現実離れした話をすることになるなんて驚きだ。
もしかして、天使が言っていた「幸運をもたらす」って、青井先輩と話せるってことなのかな? そう思うくらいには、僕は青井先輩に憧れていたのだ。
「そういえば、藤原君、仕事には慣れた?」
「はい、あ、いえ、まだまだ至らなくて……迷惑ばかりお掛けしてすみません」
「そんなことないよ、藤原君はよく頑張ってるよ」
青井先輩は手を横に振りながら明るく答えた。その明るさに、僕はかえって気まずさを覚えた。珈琲はすっかり冷たくなっていた。
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