10人が本棚に入れています
本棚に追加
願い事
青井先輩が「また来てくれるよ」とは言っていたが、まさか本当に来てくれたうえに、願い事まで叶えてくれるなんて驚きだ。
「はい。お礼をしなければいけませんから」
「お礼……本当に?」
「はい。なにかありませんか?」
僕は戸惑った。いざ「願い事」などと言われても、思いつかないものだ。
「ええと……では、窓を直してください」
つい、そんな言葉を口にしてしまった。
「それは、業者に頼めばいいですよね」
天使の口から「業者」などという言葉が出てくるのは、違和感がある。この天使、ちょっと人間界に慣れすぎじゃないだろうか。
「窓ガラスが割れたの、そちらのせいですよね?」
「そうですけど……もう少しこう、夢のある願い事はありませんか? 他の人は家が欲しいとか、億万長者とか、大きなことを言いましたよ。億万長者になれば、窓の修理代なんて、はした金でしょう?」
「夢のある願い事、ですか……」
お金が欲しくないと言えば噓になるが、今の僕には億万長者になるような心の余裕はない。大きな家だって、新卒の独り者には、かえって負担になるばかりだ。何より……。
「僕、今あんまり幸せになりたくないんです」
「どういうことですか?」
天使が目を丸くしている。天使でも、こんな驚き方をするのか。
「そんなことを言われたのは、初めてです」
「飼っていた犬を亡くしたばかりで……モモのことを忘れて自分だけ幸せになる気になれないんです」
「……大事な子だったんですね?」
「……ええ、僕が子どもの頃からずっと一緒に育ってきた、妹です。でも、ここ数年は、あまり会ってやれなくて……しかも最期を看取ることもできなかったんです」
「……そうですか……」
天使は哀しそうな顔をする。僕の悲しみに共鳴してくれたのだと思うと、胸が熱くなった。モモとのことは、友達にも話していない。たかが犬のことじゃないか、という反応をされるのが怖いからだ。だから、自分事のように悲しんでくれる天使がいて、僕は少しだけ、あたたかい気持ちになった。
「でも困りましたね。お礼は必ずしなければならないことになっていますから……」
天使は本当に困った顔をしている。その顔を見て、僕も困ってしまった。
──そのままお互いしばらく見つめ合っていたが、天使のほうから口を開いた。
「それでも、何とか……他にありませんか? でないと私、降格になってしまいます」
「えっ。降格?」
最初のコメントを投稿しよう!