隣のタマが、かぐや姫を拾ってきた

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隣のタマが、かぐや姫を拾ってきた

 隣のタマが、かぐや姫を拾ってきた。  身長は僕の拳くらいで、時代がかった格好をした女の子。確か、十二単(じゅうにひとえ)というのだったか、重ね着し過ぎてずんぐりしている。口が立つことを鑑みれば、きっと五歳や六歳ではない。少なくとも、僕と同年代だろう。でも、身体は小さい。それも尋常なく。  あれは、オレンジ色の満月が、僕を食べてしまいそうなほど大きく輝く夜だった。  その日も僕は、毎晩の日課である散歩を楽しんでいた。外にいれば、キッチンで洗い物をするお母さんから「宿題やったの」と聞かれることもないし、ビールを飲んで顔を赤くしたお父さんから「ポチと遊んであげなさい」と言われることもない。  中学生にとって勉強はとても大事だし、柴犬ポチは、動物好きな僕の家族であり弟分だ。けれど、子供だって一人になりたい時もある。一日の終わり……といってもあまりに遅いと補導されてしまうので、二十時くらいだけれど、ともかく、冷んやりとした夜道を一人で歩いていると、少しだけ大人になった気分になるし、日頃の疲れが闇に溶けて消えていくような気分になれる。  でも、それだけではない。実のところ、僕には下心がある。隣のタマが可愛らしいのだ。  正直に認めよう。僕は、少しでもタマとお近づきになりたくて、あわよくばバッタリと遭遇したいと思い、夜の散歩を日課にしている。  タマは夜間に活発になるらしく、時々このくらいの時間から街をうろうろしている。その日も僕は「いかにも優雅な散歩です」という澄ました顔で、夜の空気を全身に浴び、タマの姿を探していた。  頭上には、こってりとした蜂蜜で満たされたような円が浮かぶ。どぎついオレンジ色に光る満月が、僕を見下ろしているのだ。街の明かりに照らされて迷惑そうな紺色の夜空から月の真ん丸を蹴破って、人食いの物怪が飛び出してきそう。そんな禍々しい空だった。  ちりん。  突然、鈴の音がした。月影の中を、タマが横切った。  僕は迷わず後を追う。変に思われないように、少しでも自然に見えるような足取りで。  タマはちらりと肩越しに振り返り、僕の姿を瞳に映す。けれどすぐに目を逸らし、尾行者を気にする風もなく、道路を横断し、都心にしては広いことで有名な公園に吸い込まれて行った。僕はもちろん後を追う。  ちりん、ちりん。  タマは躊躇なく、林の中へと入り込む。  育ち盛りの竹が、全身で背伸びをするように天へと伸びる、緑の竹林。その中に、露に濡れて白く輝く竹がある。  ――かぐや姫だ! と思った。  今日の古典の授業で暗唱させられた『竹取物語』。まさに物語通りの光景に、僕は目を疑った。  竹は、神々しく輝いていた。その根本辺りで、タマが蹲っている。怪我でもしたのだろうか。高揚した気分が萎れ、全身の血が急激に冷えるのを感じ、下草の中にずんずん分け入った。 「大丈夫?」  タマはぱっと顔を上げた。どうやら怪我はないらしい。僕を見ても驚く様子もなく、真っ黒な瞳を輝かせ、土に(まみ)れた拳大の塊を差し出した。何だろう。今、拾ったのだろうか。  僕はそれを指先で摘み上げ、しげしげと眺めた。十二単のお尻側、時代劇なんかで平安貴族が床に引きずっている辺りの布地を指先で挟まれて、それは逆さまになっている。 「おのれ、うら若き乙女を逆さにするだなんて、無礼千万!」 「喋った!?」  それが彼女との出会いだった。    その日から、夜の散歩はいっそう楽しくなった。毎日タマに会う口実ができたからだ。  なぜってあの日から毎晩、十二単の女の子が、タマが身につけている鈴の横に赤い紐でぶら下がっているのだ。  喋る、小さな小さな女の子。こんな非日常でわくわくする体験、逃してしまうのはもったいない。だから僕は、女の子と会話をするため、毎晩タマに会いに行く。本当はタマと過ごしたくて拾い物の女の子と会話をしに行くのだけれど、もちろんそれは内緒だ。 「明日も妾に会いたくば、我が主人である、タマの望みを叶えることじゃ」  口調までもが時代がかっている。僕は彼女にあだ名をつけた。 「タマの願いって何、かぐや姫さん」 「聞いたからにはやらねばならぬぞ」 「良いよ。君に会うためなら」  というよりもタマに。 「うむ」  かぐや姫さんは表情に乏しいのだけれど、この時ばかりは、どこか満足そうにも見える。 「では妾がタマの言葉を代弁しよう」  喜びのあまりガッツポーズが出かけて自制した。  あまりにも可愛らしいタマ。今も昔も、タマに直接喋りかける勇気はない。だってそんな姿、友達に見られでもしたら頭を打ったのかと心配されるかもしれないし。  けれど、言葉を交わすことが叶わないタマの気持ちを代弁してくれるというのなら、これ以上に嬉しいことはない。僕は一も二もなく頷いて、かぐや姫さんの言葉を待った。 「聞け、少年。タマは今宵から一週間に一つずつ、計五つの品を所望する。おぬしはその全てを期日内にタマへと献上するのじゃ」 「わかったよ。で、最初は何をもってくれば良いの?」  かぐや姫さん、もといタマからの最初の課題は「お肉が食べたい」だった。僕の調査によれば、タマは魚が好物だとばかり思っていたけれど、そうか、そりゃあお肉も食べるよな。  次の課題は「おやつ一週間分」だ。三つめは「一緒に写真を撮るためのカメラ」、四つ目は「近所の国立公園入園券」で。最後の願いは「可愛い首輪が欲しい」のだという。  タマがかぐや姫さんを拾って五回目の土曜日。周囲からの視線にちょっと照れつつも、ショッピングセンターで首輪を物色しながら僕は、どこか妙だなと感じていた。  古典の授業では冒頭しか習わない『竹取物語』。かぐや姫さんと出会い、本当はどんな物語なのか気になった僕は、ネットであらすじを調べてみた。  本物のかぐや姫は、高貴な男性達に次々と求婚される。結婚したくないかぐや姫は、五人の男性に無理難題を突き付けて、求婚を退けるのだ。  タマの鈴の横にぶら下がっている方のかぐや姫さんは、この話をなぞり、僕に五つの課題を言い渡したのだろう。  だけど妙なのだ。かぐや姫さんが僕に告げた願いはどれも、簡単に叶えられるものばかり。最後の「可愛い首輪が欲しい」は少し値が張るけれど、貯金箱を引っ繰り返して部屋中の小銭を搔き集めれば、何とでもなる。  かぐや姫さんは、僕に五人分の課題を押し付けた。その上で、ただの中学生である僕でも手に入る程度の宝物を所望した。  ねえ、それってもしかして、もしかすると……。 「あれ、かぐや姫さんは?」  夜。可愛い首輪が入った小箱を手に、いつもの公園を訪れた。ぼんやりとした街灯がオレンジ色を振り撒く中、僕の目に映ったのは、タマのリュックにぶら下がるピンクの鈴と、途中から千切れてしまった赤い紐。昨晩まではその先に、かぐや姫さんがぶら下がっていたはずだ。 「かぐや姫さん、いなくなっちゃったの?」  震える声で僕は言う。タマは口元をきゅっと引き結び、悲しそうに微笑んだ。それから、柔らかそうな唇をゆっくり開く。 「うん。もう月に帰ったの」 「どうして」  さようならも言えなかったのか。  いや、それはこの際どうでも良い。確かにかぐや姫さんには愛着を抱いていたけれど、それは彼女が僕とタマの仲を取り持ってくれたから。  そもそもかぐや姫さんは、竹林で拾っただけのただの拳大のマスコットで、喋っていた言葉は全部、タマが声を当てていたのだ。僕はそのことに、最初から気づいていた。それでも知らないふりをして、タマと会う口実を作るため、彼女の遊びに乗ったのだ。  タマが一歩距離を詰めて、白いスカートがふわりと揺れる。学校で、隣の席に座るタマはいつも、灰色チェックの制服スカートを履いている。普段よりも女子らしい柔らかな装いに、いつもと違った色香を感じ、僕は心臓が破裂するのではないかと思った。  タマが近づくと、ほんのりと甘い香りが押し寄せた。僕の心臓はもう、限界だ。 「かぐや姫さんは、もういらないの。だって君と仲良くなれたから。わたしの五つの願いを全部叶えてくれたから」  僕はゴクリと唾を飲む。それから掠れる声を絞り出す。 「じゃ、じゃあさ、五つの願いを叶えた僕は、その……」 「それ」  僕の手のひらには貢物の小箱。それを指差すタマの瞳が、オレンジの光を照り返している。まるであの日の満月のようで、僕は食べられてしまいそう。 「それ、最後のお願いの品。わたしの首につけてくれる?」  僕は頷いて箱を開け、なけなしの全財産を叩いて買ったネックレスを取り出した。大人の男性が恋人にあげるような本物の宝石ではないけれど、タマは本当に嬉しそうに笑ってくれた。 「かぐや姫の無理難題を見事成し遂げた君に、ご褒美をあげましょう」  芝居がかった台詞の後で、僕の頬を温かな吐息が撫で、柔らかくて少し湿ったものが掠めた。  ああ、感無量。  あの晩かぐや姫さんを拾うまで、何ヶ月もずっと、タマとは会話らしい会話ができなかった。地味で気弱な僕に、勇気をくれたのはかぐや姫さん。月に帰ったあの子にお礼を言いに行きたいけれど、何だか近い将来に地球で再会できるような予感がする。  きっとタマがまた拾ってくる。人食いの物怪が出そうな月夜に、光る竹の根本から。 「タ、タマ……珠子(たまこ)、ちゃん。その」  応える声はない。その代わりにもう一度甘い匂いが迫り、僕らの影が近づいた。  禍々しい満月の夜、隣の席の珠子ちゃんが、竹林でかぐや姫を拾ってきた。その日から、僕らの関係は急進展した。心からの感謝しかない。  ……だけどあのかぐや姫、どうしてあんなところに落ちていたのだろう。  いや、別に何でも良いか。些細な疑問なんて夜空の向こうに吹き飛ばされていくほど、タマの笑顔は魅力的で、どこか魔性を帯びていた。  長いまつ毛に覆われた二つの黒い満月が、街灯のオレンジ色を弾きながら僕に迫る。  ああ、大好きだよ、タマ。  僕は君の気を引くためにこれからも、君の願いを叶え続けるのだろう。 <完>
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