#01.Happy unhappy drags

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 オレも曲名をちらと窺う。メジャーなバンドの有名な曲だった。セットリストも差し出される。やはり慣れていないのだろう、いい感じで、とか、おまかせします、なんて指示にもならない指示が書いてある。リハは終えているはずだから問題はないだろう。  受け取った人清は片手で眉間をもみながら譜面に目を通している。集中するときのクセだった。 「うん、いける」頷いてから、あ、と気づく。「ベース持ってきてねえや」 「まだ出番まで時間あるし取ってこられるだろ」 「だりぃや、借りたろ。逃げたベーシスト、手ぶらだったし、ベース置いてったりしてねえか?」  ふたりが束の間、硬直したがうなずくと控え室に取って返した。ほどなく戻ってくる。ドラマーがベースを手にしていた。  初心者向けのエントリーモデル。 「う……ん? なんか細部に違和感が……ちょっと失礼」  触れてみると微かにフレットにバリのような引っかかりを覚えた。手を切るほどではなさそうだが、そのままもよくないだろう。  眉を寄せるオレの隣で人清はダウンジャケットを脱ぎ捨てる。  捨てるな。  床に落とされたそれを拾って適当に畳んで、空いたカウンターチェアに載せる間に人清はつらつら試奏する。  一曲目を頭から、フレットを押さえる指に迷いはなく、ピッキングによどみもない。それどころか倍速だった。ワンコーラスを弾き終えて口を曲げる。 「ま、こんなもん、ハッタリにもなんねえか」 「サビ前にちょっともたついたろ。カッコつけて倍速でなんかやるからだ」 「バレてねえんだから言うんじゃねえ」 「キヨちゃん、本番はおふざけはナシだぞ」 「へーい」  店長に諌められ黒いトレーナーを着た小男はいい加減に言って身を縮めた。
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