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1st part
それは僕の意志とは無関係に、
予期せぬ形で飛び込んできた。
「あ、父さん。ネクタイが曲がってる」
「お、すまん」
僕ー岸野葵はそう言って父、康隆の首元に
手を伸ばした。
今日は久しぶりに父と2人で外出する。
都市銀行の支店長をしている父は、
休日の外出でもワイシャツネクタイ姿。
9月に45歳を迎え、
一般に中年と呼ばれる年齢に差し掛かっても
週に3回のジム通いが功を奏し、
贅肉には縁のない均整の取れたスタイル。
178センチの長身、優しく穏やかな性格は
僕の憧れだ。
「葵、お父さん疲れてるんだからあまり
引っ張り回したらダメよ」
「買い物に行くだけだし、大丈夫でしょ」
夜勤中心の看護師をしている母の礼子は、
父と高校生の時から付き合っていたらしい。
同じクラスだった父は当時から人気があり、
争奪戦を制した母は事あるごとに、
「彼女になっても嫌がらせが続いた。
でもひたすら私を大切にしてくれている
お父さんとの縁を信じて、結婚までできた。
葵を産むこともできて、大好きな仕事まで
させてもらえてる。これ以上の幸せはない」
と見事なノロケを展開してくる。
両親を見ていると
浮気とか嫉妬とかネガティブな要素が一切
なくてこんな夫婦もいるんだなと思う。
生まれた時から船橋駅の近くに住み、
何の不自由もなくのびのびと育った僕は、
運動より勉強が大好き。
友達は2人だけで、
昨年、県内の進学校に合格し、
迷うことなく書道部に入部した。
書道師範の免許を持ち、
休みの日に近所の子供たちに書道を教える
父の影響が大きかった。
僕も将来は師範免許を取り、
書道の腕を活かした仕事で活躍したい。
「いつもの店でいいのか」
「うん。筆を新調したくて」
「ん」
夜勤明けでもう一眠りしたいと言う母が
部屋に消えたのを確認してから、
午前11時、父と一緒に家を出た。
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