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第九話 春の日
今日は朝から町内の溝掃除が行われた。この町内でも高齢化は進んでおり、力仕事は僕たち青年部が頼りにされていた。毎年4月のこの時期に行われている。各班ごとに自治会館で手押し車を借りて、回収した泥を集積場に運ぶという作業だ。自治会館は公園の中にある。
自治会館から手押し車を押して戻ると、泥は溝から引き上げられて側溝の淵に山を作っていた。
「天気予報、昼から雨やったんで急いだんや。あとは運ぶだけなんやけど、ヒロシ頼んでもええか」
隣人達は申し訳なさそうな顔で言った。僕は快く引き受け、手早く積み込んでいく。毎年恒例のため泥の量はそれほど多くなく、2回の往復で運び終えることができた。太陽はまだ登りきっていないというのに額からは汗が滴り落ちる。雨が降るようにはとても思えない快晴だ。空になった手押し車を押して自治会館に行くと、タケシが手押し車を洗っていた。一足先に終わっていたようだ。
「なんや、お前とこも終わったんか」
二人とも手足が泥まみれだったのでタケシを誘い手洗い場に向かった。蛇口を捻ると生ぬるい水が勢いよく吐き出され、泥はあっという間に流される。タケシは手を洗い終えると肌着を脱いで、吐水口の下に頭を潜り込ませた。
「くわあー、気持ちええわ」
僕もタケシに続いた。確かにこれは気持ちいい、汗と一緒に疲れも流されて行くようだ。蛇口を閉め、手拭いで髪を拭いている時にそれは起こる。
「お前、ええ身体してるやん」
聞こえてきた言葉に僕は耳を疑った。恐る恐る振り返るとタケシと目が合う。慌てて逸らしたタケシの視線は僕の上腕のあたりに注がれているように思えた。あまりの驚きで無意識にタケシの顔を凝視していたのだろう。
「あほ、何ビビっとんねん。冗談や、冗談に決まっとるやろ」
タケシは珍しく慌てた様子だ。返す言葉を見つけられず黙っていると、
「ほんまに、ほんまに冗談やで、、、」
繰り返して言った。
「ああ、冗談な」
笑いながら答えたが気まずい空気が流れる。静まり返った公園に蝉の鳴き声だけが響き渡った。
やがて救いの手を差し伸べる声が聞こえ、僕たちは解放される。タケシを呼ぶ声、ユキの声だ。
「お兄ちゃん」
「おう、そっちも終わったんか?」
ユキに尋ねるタケシの声は少し上擦っているようにさえ感じられた。
「うん、今終わったところだよ」
頬被りを取りながらユキは答えた。僕たちが溝掃除をしている間、彼女たちは自治会館の掃除をしていたのだ。ユキはすぐに僕に気付いたようで、
「あ、ヒロシさんも」
驚きを含んだ笑顔を向けた。
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