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第十七話 疎開
手拭いを腰に当て浴場に入ると、湯気が立ち込め視界を遮る。足元に注意しながら洗い場を目指した。風呂桶の山に手を伸ばそうとした時、褐色の物体が視界に入る。慌てて足を止めると相手も気付いたようだ。僕は平均的な身長だが、それよりも十糎は高い背丈だ。褐色に焼けた身体は引き締まり、胸板は流線形を描いている。手拭いを肩に掛け、仁王立ちしていた。顔が気になり見上げると、長身の男は突然話し掛けて来た。
「なんや、お前も来てたんか」
目を凝らすと、そこにはタケシがいた。驚いて呆然としているとタケシは続ける。
「ユキ連れて川遊びして来てん。その帰りに寄ったんや。大漁やで」
声を弾ませ、誇らしげに付け加えた。
「なんだタケシか。びっくりさせるなよ」
やっとのことで状況が把握できると、今度は疑問が湧いてきた。
「大漁?」
首を傾げて考えていると、タケシは勘付いたようだ。
「鮎や、鮎。番台に預けてるさけに、お前も持って帰れ」
留守だったことを思い出して合点がいく。どうやらユキも一緒に来ているらしい。
身体を洗い終えて湯船に浸かると溜まった疲れが流されていくようで心地良い。二人並び、何気ない会話を交わした。
「さあ、俺そろそろ出るで」
タケシは頭に乗せていた手拭いで顔を拭く。
「女は風呂、長いからなあ」
ぼやくように言うと天井を見上げた。
「ユキ、もうじき出るで!」
どうやら女湯に声を掛けているようだ。タケシの良く通る声は浴場に響き渡り、他の客の視線を感じる。ユキの返事を想像しながら耳を澄ませていたが、一向に聞こえて来なかった。
「おい、ユキ。聞こえへんのんか?」
タケシは声量を上げて繰り返すが、やはり返事はなかった。
「おっかしなあ、あいつもう出たんか?」
浴場の天井を見つめて仏頂面でぼやいた。
身支度を済ませて脱衣所を出ると、タケシは番台で魚籠を受け取っていた。
「今晩よばれるわ、おおきにやで」
どうやら鮎のお裾分けをしていたようだ。お婆さんは笑顔で礼を言いタケシを送り出した。
ゆ暖簾をくぐると陽はだいぶ傾き、西の空を橙色に染めていた。辺りを見回すが、ユキを見つけることは出来なかった。
「あいつどこ行ったんや?先に出たんとちゃうんか?」
うちわを扇ぎながらタケシは口を尖らせる。休憩所も見てきたがユキはいなかった。一人で帰るはずもない。
「風呂でのぼせとるんとちゃうやろか?」
タケシが冗談混じりに言っていると、突然声が聞こえてくる。
「もう、あんな大声で!恥ずかしいからやめてよ」
その声は明らかに怒り声だった。顔を上げると眉間に皺を寄せ、タケシを睨むユキがいた。すぐに僕に気付くと、
「え、ヒロシさん?」
鳩が豆鉄砲を食ったような驚いた顔を見せた。
ラムネを飲みながらしばらく雑談した後、僕たちは家路に着いた。タケシの手には釣り竿が握られている。
「ユキちゃん、いつもの所に置いといたよ」
昼間届けた茄子のことを伝えると、
「いつもすみません」
ユキは畏まって礼を言った。その後はタケシの鮎釣り自慢が始まる。身振り手振りを交えて話す姿を、僕たちは笑いながら見ていた。タケシの話は尽きない。漁師をやってるだけあって魚の知識は豊富だ。今朝の漁のことを得意げに話していたが、ふと中断する。
「なんや、あれ?」
タケシがそう言った時、怒声が聞こえて来る。男の声だ。声のしたほうを見ると、少し先の小料理屋の前に人だかりが出来ていた。
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