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第十八話 令嬢
人だかりに近づいて行くと、女性と二人の男が立っていた。女性は整った顔立ちで、この町にはおよそ似つかわしくない宮廷の貴婦人のようなドレスを着ている。男二人は酒が入っている様で、無精髭を生やした顔を赤く染めていた。女性を含め、この辺では見掛けない顔だ。
「危ねえな、しっかり前見て歩けよ!」
小柄な男が女性を捲し立てた。不機嫌さが表情から滲み出ている。
「何よ、貴方がぶつかって来たんじゃない。謝りなさいよ!」
女性も負けずに言い返す。彼女の気迫のほうが優っているように感じられた。男は右手の指を顔に当てると勢いよく鼻毛を抜き、投げ捨てるように宙に放った。
「なんだと、こいつ!女だからって容赦しねえぞ」
「おい!やめとけよ、ヤマモト」
「うるせえ、スズキ!お前は素込んでろ」
ヤマモトと呼ばれた小柄な男は、今にも女性に襲いかかりそうな勢いだ。大柄なスズキはそれを止めようとしている。少し迷ったが仲裁に入ろうと一歩踏み出した時、タケシはそれを静止するように右腕を伸ばしてきた。
「お前はユキと一緒に居てやってくれ。俺が行く」
大股で近づいて行くと、ヤマモトと女性の間に割って入った。
「おっちゃん、女の子相手に何しとんねん」
ヤマモトは一瞬怯むが、すぐに気を持ち直してタケシを睨んだ。体格ではタケシに分がある。しかしヤマモトの狂犬さながらな眼光は只者ではないことを示している。揉めごとを起こして憲兵隊に目を付けられても厄介だ。止めに入ろうと構えていると、ユキはおもむろに呟いた。
「あの人、白百合さんのお姉さんだわ。お家に遊びに行ったことがあるの。間違いないわ、あの人よ」
ユキの話によると、白百合というのは東京から疎開して来て、高台の洋館に住んでいる令嬢の名前だ。ユキが通う女学校に転入していた。目の前で言い争っている女性は白百合の姉だということだ。
「何だ、お前は!」
ヤマモトが怒鳴りながらタケシの胸ぐらに掴みかかった。タケシは怯むことなく睨み返し、その腕を掴み反す。まずいことになった、一触即発とは正にこのことだ。流石に放っておく訳にはいかない。
「ユキちゃん、ここで待ってて」
ユキに言い聞かせると僕は歩き出した。激しい足音と共に怒鳴り声が聞こえてきたのはその時だ。
「紅子様!」
スーツ姿の男が叫んでいた。軽やかな足取りでみるみる近づいて来る。ワイシャツには蝶ネクタイを巻き、薄手のジレを着ている。どこかの国の紳士風な服装だ。黒スーツを着た、如何にも屈強な体格の男たちを従えている。男たちは紅子と呼ばれた女性を囲むと、ヤマモトとスズキを威嚇した。
「お嬢様、お怪我は御座いませんか。何処へ行かれたのかと心配しました」
蝶ネクタイの男は紅子に寄り添い、ヤマモト達に罵声を浴びせた。
「消えろ!ウジ虫ども」
人数でも圧倒され、勝ち目がないことは明白だ。ヤマモトとスズキは後退りした。
「おい、行くぞ」
「くそ、覚えてやがれ!」
スズキが赤い顔を歪めて合図を送ると、ヤマモトはタケシを解放して捨て台詞を吐いた。やがて二人はスーツ姿の男たちを牽制しながら早足で立ち去って行った。
「ふーうっ、、、」
二人の姿が見えなくなると、タケシは目を閉じて大きく息を吸い込んでゆっくり吐き出した。気丈に振る舞ってはいたが、相当な無理をしていたようだ。
「お嬢ちゃん、気い付けやなあかんで」
それだけ言うと紅子に背を向けた。紅子は無言でタケシを見ていたが、やがて振り返り蝶ネクタイの男を睨んだ。
「アツシ、今頃何しに来たの。この役立たず!」
アツシと呼ばれた男は渋い顔をして、先ほどの威勢が嘘のように俯いてしまう。紅子は散々アツシを罵った後、タケシに視線を戻した。
「貴方、気に入ったわ。私の護衛にして差し上げても宜しくってよ」
腰に手を当て顔を傾け、自信に満ちあふれた視線をタケシに注いだ。
「興味あらへんわ」
タケシは背を向けたまま、紅子には見向きもせず僕たちの元へと戻った。紅子を見ると、下唇を噛んでタケシの後ろ姿を見つめていた。
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