おもてなしをひとつ

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人は、なぜ満月に神秘を感じるのだろうか。有名どころだと狼男や吸血鬼、記憶は定かでないが、妖怪にもそんな奴がいたような。 そんな子供騙しの存在も信じられそうな、大きな満月を見上げて、俺は溜息を吐いた。世間では、何とかムーンとか言って有り難がっているようだけれど、ようはデカい満月なんだろ、と内心で悪態すら吐きながら。 俺は横尾(よこお)博啓(ひろのぶ)、27歳、会社員。日々の業務に追われ、毎日、帰宅は午前様。そんな有り様だから、当然、独身、彼女ナシ。一人暮らしのアパートの部屋は荒れ放題だし、自炊もしばらくしていない。それもこれも、会社が、処理しきれない業務を割り振ってくるから。社会が、独身男性に優しくない構造になっているから。だから俺にはどうしようもない。 「……ぅ……」 疲れ切った頭の中で、そんな事を考えながら歩いていた俺は、小さな声で我に返った。真夜中ともなれば乗降客もほとんどいなくなる、片田舎の駅前通り。もはや灯が落ちて久しいだろう商店たちの隙間から、人の足先が見えた。 「ぇ……ちょ、エッ!?」 男物だが、機能性よりも装飾性が高そうな革靴。そこから覗く足首が見えるので、靴だけが置き去りにされているわけではない。 「だ……だいじょう、ぶで……」 警察か救急車か。そんなことを思いながら、とりあえず駆け寄った俺は、言葉を失った。 「たすけて、ください……」 やたらと良い声。体調不良だろうか、表情に陰りがあっても、それすら様になる、綺麗な顔。靴と同様、機能より装飾性の高いスーツ。はて、この辺にホストクラブはなかったと思うが。 「あの……」 顔の綺麗さに見蕩れて、言葉を失っている間に、男が起き上がっていた。比較的間近で声をかけられてビクリとする。 「この辺りで……泊まれる場所は、ありませんか? 出来たら、食事付きで……」 「えぇえ……」 こんな深夜にチェックインのできるホテルなどないし、そもそも、この辺りはベッドタウン、いわゆる住宅街だから、ホテルや旅館も聞いた覚えがない。知っているネットカフェは3駅先だし。 「ひと晩だけで良いんですけどね……」 言って、苦笑する男。ああ、そうだ。 「……ウチ、来ます? すごいゴミ屋敷ッスけど……」 「……良いんですか?」 「いや、むしろ、俺の方が「良いんですか」って聞きたいくらいですけど……」 「ややや、ありがたいです、助かります……!」 ニコリとはにかんだ顔は、とびきり綺麗で、何故か胸が騒いだ。 「じゃ、じゃあ、えっと、俺んちこっちで……」 男に背を向ける瞬間、釣り上がった口端で、キラリと尖った何かが光った気がしたけど、まあ良いか。すごく綺麗な人だしね。 そういえば、名前、まだ聞いてなかったなぁ。 20231028 鳥鳴コヱス
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