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「リーン、お前が婚約者になりなさい」
お父様が、静かに冷たく、突き放すように告げてきた。
私は、扉の前に立ち、ソファに座るお父様が何を言っているのか理解が出来なかった。
夕食後お父様の執務室に呼ばれ、座る事は常に許さていない為何時ものように扉近くにたつと、先ほどの言葉を投げかけられた。
お前が、という言葉の使い方に昔から寂しく思っていたが、だが、詮無い事だ。
お父様の前に座るお姉様が目に入り思った。
「私が、どなたの婚約者になるのですか?」
あえて、質問した。
「セイレ男爵様よ」
お父様の前に座るお姉様がお茶を飲みながら、意地悪な微笑みで言った。
「その方はお姉様の婚約者でしょ?」
「レーンは病を患ってしまった。医師からも静養を勧められたのだ」
嘘だ。
一昨日誰かの夜会に参加して、とても楽しかった、と本人から聞いたわ。
それに、先程の夕食も文句を言いながらも、全部食べていた。
「あげるわ、ではないわ・・・ごめんなさいねえ、私がこんな体に・・・ゴホッゴホッ・・・。ああ、でも心配しないでえ・・・ゴホッ・・・セイレ男爵様は素敵な人よ。お金も持ってるし、顔もいいし、私よりもリーンに相応しいと思うわ」
嘘だ。
婚約が決まって半年、1度もそんな言葉を聞いた事ないわ。
「ああ・・・ごめんなさいねえ・・・私が・・・ゴホッゴホッ」
わざとらしい咳を、そんな血色のいい顔でされても、全く信じられない。
それに始めの、あげるわ、と言う言葉がお姉様の正直な気持ちなのだろう。
この婚約がどれだけ要用なのか理解している筈なのに、まるで品物扱いだ。
一瞬の前が真っ暗になり、よろけそうなのを我慢した。
「あの男はレーンを気に入らなかった。このレーンをだぞ。それのせいでレーンは精神的におかしくなったんだ。だったらお前が婚約者になればいい。向こうには伝えてある。問題ないそうだ」
お父様は腹立たしそうに吐き捨て、愛おしそうに前に座るお姉様に微笑んだ。
そんな、身勝手な。
お姉様がきにいられないから、次は、
私?
やはり、私は品物のようだ。
「・・・はい、お父様」
けれど、私に拒否権は存在しない。
当主の言葉は絶対だ。
様々な痛みが胸を襲った。
「レーンの代わりを必ず務めるのだ」
有無を言わせない言葉と態度で、突き刺すように私を見る。
そんなの無理に決まっている。
お姉様の代わりに私が慣れないことなんて、お父様も、お姉様も百も承知だ。
「はい、お父様。お姉様」
それでも私は、
「お前がこの家の再興のために」
お姉様の、
「努力を」
代わりになれるように、
「惜しむな」
役に立つように、
「はい、お父様」
尽くします。
微笑む私に、お父様は、苛立ちながらも引き攣る笑みを浮かべた。
ぎゅっと胸がまた、痛くなる。
お父様の心を満足出来ないのは知っている。
でも、少しくらい私を心配する言葉が欲しかった。
「お前がレーンの変わりならないのは分かっている。このレーンを気にいらない、偏屈なヤツだ。どうにか少しでも気に入られるんだ!」
忌々しそうに雑にカップを持ちお茶を飲み干した。
理解しています。
お姉様に、私は勝てない事を。
それならなぜ私を、とは言えない。
そんな口答え当主に許さえれるのは、お父様に気にいられているお姉様だけだ。
「あらあ、そんな事ないわよお父様。レーンだって努力したら少しは可愛がられるわよ。それに、リーンが失敗しても私がいるわあ、良い方達ばかりがいる夜会に招待して貰えるように、約束を貰っているのよ」
だったら、私が婚約する意味などないし、お姉様を気に入る方に援助して貰えばいいと思う。
それに、病はどうなったの?
夜会?
いえ・・・もう何だか疲れた。
「そうだが、保険は大事だ。それに、婚約支度金を貰っているんだ」
つまり、その支度金はもうない、と言う事か。
「レーンに変わったらまた、追加で貰えるように話をつけてきた」
「あら、ますます役に立ってるじゃない。あんたがお金になるなんて生きてきた意味があったわね。だったら、レーンにとっては良かったかもしれないわよお父様。こんな子、誰か欲しいのよ。余るよりも貰ってくれる人がいるだけでもマシよ」
「お前の言う通りだ。こんなぼんやりとした娘、どこぞでも出ていけば清々すると前々から思っていたが、こんな所で役に立つとは、思っても今なかった
」
「うふふ、良かったわ。私も、あんな男嫌だもの。あ、ゴホッゴホッ・・・ああ・・・目眩がするわあ」
思い出したように、ハンカチで口を押え咳をしながら、お父様によりかかる。
「大丈夫か?あんな男の事がそんなに心労になっていたとは、気づけなかっとしては親として失格だな。だがもう心配入らない。お前は自分の身体だけを考えたらいいんだ」
私には1度も見せた事のない子を思う優しい声でお姉様の肩を摩った。
「本当よ。人を馬鹿にしたようなことしか言わないし、何様のつもりよ!私が優しいから半年も我慢したけど、あれじゃあ誰も妻になんてなりたくないわ。あ、ゴホッゴホッ。」
「社交界にもまったく顔を出さないとは、思っていたが、そんな酷い男だと知っていたら、初めからリーンを勧めるれば良かった」
胸の痛みよりも絶望感で、息が苦しくなる。
「明日からサージュ殿の屋敷に住みなさい。サージュ殿も納得されている。婚約発表は半年後だ。それまでせいぜい捨てられないようにしろ」
吐き捨てる言葉に、少しでも私に期待を感じる感情があれば救いだったが、それを期待する自分に悲しくなった。
馬鹿ね。
何を期待しているの?
お父様は、いつだってお姉様が1番。
「はい、お父様」
分かっていた。
「意味は理解しているな?」
「はい、お父様」
意味深な言葉の裏を分かっていても、そんなすぐに受け入れる事など出来ない。
でも、私には受け入れるしが出来ず、言い聞かせる。
「それなら宜しい。部屋に戻りなさい。荷物をまとめておきなさい」
「はい、お父様」
もう私には興味が無さそうに、顔を背けた。
もう少し、
もう少し、
お姉様程はなくとも、
私を見て欲しかった。
「では、失礼致しますね」
一礼し、部屋を出た。
馬鹿ね。
いつの間にか、覚えた微笑み。
それを、
諦めの微笑み、
と、
分かっている癖にね。
「リーン、頑張ってね」
こちらを見ずに、口だけ。
「・・・はいお姉様」
頭を下げ部屋を出た。
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