プロローグ

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プロローグ

 ルチアーノが部屋に入ると、一人の男がうやうやしく礼をした。   「ボネーラ殿だな?」  念を押せば、男は丁重に答えた。 「はっ。この度はお目通りをお許しいただき、感謝申し上げます」 ルチアーノは、中央に置かれた椅子に、どっかりと腰かけた。銀髪と口ひげが印象的な男を、チラと一瞥する。 (これが、国王の覚え高き名宰相、ボネーラか)   初対面にもかかわらず、ボネーラはルチアーノの顔を見ても、表情ひとつ変えない。これは、かなり珍しいことだった。たいていの者は、ルチアーノを一目見ると、ぎょっとした表情を浮かべるからだ。……それは、ルチアーノの顔の約七割が、真っ黒な仮面で覆われているからに違いなかった。かろうじて確認できるのは、プラチナブロンドの髪と、澄んだグリーンの瞳、そして整った口元だけである。 「そなたの評判は、常々聞いておる」 「恐れ多いお言葉で……」 「そのような方をお迎えするのに、このようなさびれた部屋で申し訳ない。だがここが、この離宮唯一の応接間であってな」  ルチアーノは、室内に並ぶ古びた調度品を一瞥して、唇をゆがめた。その口調が、あまりに自嘲的だったからだろう。ボネーラは一瞬言葉に詰まったものの、不意にひざまずいた。平伏せんばかりの態度で、ルチアーノに訴えかける。 「ルチアーノ殿下。本日は、お願いがあって参りました」  何事だ、とルチアーノは、グリーンの瞳を光らせた。ボネーラが、思い切ったように語り出す。 「ご承知かとは存じますが、我が国では現在、疫病が流行中。クラウディオ王太子殿下、マヌエラ王太子妃殿下も、相次いで逝去されました」 「痛ましい話であった。もっとも私は、葬儀への参列を拒否されたがな」    ボネーラは、気まずそうに目を泳がせた。 「その件に関しては、お詫びの申し上げようもございません……。その上で、厚かましさは承知のお願いでございます。ルチアーノ殿下。あなた様は、現国王陛下の第二夫人のお子にして、第二王子殿下であられます。何卒、王宮へお戻りいただけませんでしょうか」  ルチアーノは、軽く眉を吊り上げた。懐から扇を取り出し、何事か思案するようにゆらめかせる。   「一歳の時より、この離宮に幽閉しておいて、何を今さら。戻って、私に何をせよと言うのだ」 「国王陛下は現在、めっきりお体が弱られているのです。故・クラウディオ殿下のご子息・ファビオ殿下は、まだ幼くていらっしゃる。今の我が国には、陛下の助けとなる方が必要……」 ルチアーノは、スッと席を立った。上から、じろりとボネーラをにらみつける。 「馬鹿にするでないぞ! 幽閉状態とはいえ、私が国内外の状況を知らぬとでも思うか。この疫病蔓延状態に乗じて、周辺の国々が、何やら不穏な企みをしておるらしいではないか」  ルチアーノは、扇をパチンと閉じた。   「よもや、こういう筋書きではあるまいな。私を王宮へ戻し、万一、周辺国が(いくさ)を仕掛けてきたら、対応をさせる。そしてファビオ殿下が成人された暁には、もう私はお役御免、と」    ルチアーノは、つかつかとボネーラの元へ歩み寄った。 「違うか? 私は、場つなぎの操り人形ではないぞ!」  激しい声音に、ボネーラは一瞬すくみ上がったものの、懐から何やら封書を取り出した。  「大変申し訳ございません。勝手を申しているのは、百も承知でございます。ですが、これだけは誤解無きよう。国王陛下は、ルチアーノ殿下のことを、場つなぎなどとは考えておられませぬ。殿下を、このアルマンティリア王国の次期王位継承者と定める、と正式に宣言なさいました」  ルチアーノは、思わず目を見開いた。ボネーラが、封書をルチアーノに差し出す。ルチアーノは、中身を取り出すと、素早く目を通した。国王のサインを確認し、首を振る。 「しかし、王位継承順位からすれば、新王太子はファビオ殿下だ。王妃陛下は、納得なさっているのか?」 「それは……、最初は、反対なさいました。ですが今では、国王陛下のご決断を尊重なさっておいでです」 「は! 珍しいこともあるものだ。が、王妃陛下に逆らわれるとは」  ルチアーノは、あえて父親のことをそう呼ばなかった。再び椅子に腰かけ、思案するように顎を撫でる。   「だが。この仮面の事情は、そなたも知っておろう。生涯仮面を着けた国王が、国民の信頼を得られるものか。妃の問題もある。顔をさらさぬ男に嫁ぎたい女など、いるわけが無かろう」    するとボネーラは、初めて笑みを浮かべた。   「ルチアーノ殿下。その点に関しては、私に策がございます」 「聖女か? 国中の聖女をもってしても、この病を治せなかったというのに?」 「さよう。確かに、では、無理でございました」    ルチアーノは、軽くまばたきした。   「他国から呼び寄せる気か?」 「違います」  ボネーラは、自信たっぷりに答えた。   「異世界より、召喚するのでございます。殿下の問題を解決する者を」 「異世界?」    ルチアーノは、身を乗り出した。再び扇を広げ、優雅な仕草であおぐ。   「確かに、そのような方法を聞いたことはあるが。しかし、非現実的としか思えぬ」 「試してみなければわからないと存じますが」    よほど自信があるのか、ボネーラは頑強に言い張る。しばらく考えた後、ルチアーノはうなずいた。   「よかろう。そこまで申すのなら、試してみよ」 「ありがとうございます!」  ボネーラが、平伏する。ルチアーノは、微かに口角を上げた。      「ボネーラ殿。これは、私とそなたの勝負じゃ。召喚が成功し、この仮面を取ることができたなら、私は王宮へ戻り、王位継承者となる。だが、病が治らなかった場合は、私は陛下が何とおっしゃろうが、今の生活を続けるぞ?」  ありがとう存じます、とボネーラは再び礼を述べた。 「では、直ちに召喚の準備に取りかからせていただきます」 「待っておるぞ。吉報となるか凶報となるかは、わからぬがな」    そう言い残すと、ルチアーノはさっさと席を立った。  ルチアーノが廊下へ出ると、一人の男が、待ち構えていたように近寄って来た。燃えるような赤毛の青年だ。 「聞いていたのか」 「はばかりながら」  青年が、短く答える。ルチアーノは、くくっと笑った。 「ならば、話が早い。ボネーラの手腕がどの程度のものか、お手並み拝見といこうではないか。のう、ジュダよ?」  そう言うとルチアーノは、やおら仮面を取った。澄み切ったエメラルドグリーンの瞳に、すっきりした鼻筋、形の良い唇、透き通るような色白の肌。白皙(はくせき)の美貌が、そこにはあった。
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