3人が本棚に入れています
本棚に追加
男は微動だにしない。何を持つでもなく、ただそこに佇んでいた。
ミディアムサイズの黒髪が僅かに輪郭を覆って表情もわからない。眼鏡をかけていた。肩幅は少し広いかもしれないが、体躯は細身でズボンから裾がはみ出たワイシャツの造作が似合っている。ただ、秋も深まってきた今時期の夜としては、随分涼しそうに見える。
暗い橙に光る指には装飾品の一つもない。真横を通ると、少し甘めでスパイシーな香りがふんわりと漂い、男の姿とリンクして脳裏に焼きついた。滲み出るような色気を一瞬にして感じとる。
(やべぇ、完全に)
優男だ。吾妻下駄でも合いそうな、剣突を喰らわすこともしなさそうな男。暗がりの第一印象が正しいかどうかはさておき、観察しながら側を通り過ぎた。
用を足し終わっても男は一つも動いていなかった。車の状態も合わせて何も変わりないところを見るに、自分にしか見えない妖なのではないかとすら思った。結局梁川が背を向けた直後男は大きなくしゃみをして、実体があるということを再認識した。
(バケモンじゃなかったか)
もちろん本気でそんなことを思っていたわけではない。倶利伽羅悶々のありそうな厳つい男ばかりの職場にいて、もれなく自分もその一人で、清楚な男というのにはなかなか出会うことがなかった。
(目の保養、目の保養)
呟いて車を走らせる。仕事はまだ始まったばかりで、だからこそ幸先が良いような気がしていた。
翌週、梁川はトラックを降りるなり、あんぐりと口を開けた。また居た。優男が。あのベンチに。
最初のコメントを投稿しよう!