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1 スルド王国 重装騎甲車「灰鼠」23号機
(父さんは、こんな穏やかな月夜が好きだった)
カナタは「灰鼠」の八十ミリ砲上部から半身を乗り出した。湿った黒髪を揺らし、軽く夜風にさらす。
中空に満月がかかり、深い針葉樹の森から高原の涼気が漂う。思い切り息を吸うと、鼻腔をミントに似た森の香りが抜けていった。
「カナ、ココア入ったよ。飲む?」
真下から、カップを持った細腕が伸びていた。
「ありがとう、サキ」
カナタは苦手な笑みを作ってカップを受け取る。操縦士のサキは鉄のラダーを片腕で登り「うんしょ」と言いながら隣に腰かける。
「戦争が終われば出陣しなくて済むのにね」
サキがココアをふーふーと息で吹いた。
「最前線はシムリア首都まで五十キロ。人質のエルダ王女様を解放すれば戦争が終わるけど」
「カナも戦争に反対なの?」
「殺し合いはしたくないよ。だから軍学校でも後方勤務を希望したのに、こんな国境警備に回されちゃって」
「……お父さん、かわいそうだったね。なのに明日はレムヒ大将閣下の辺境視察の歓待かあ」
ココアってこんなに苦かったっけ。ああ、サキは砂糖を入れないんだった。
カナタの父はスルド王国の元騎甲大隊長にして陸軍相。かつて平和条約があったシムリアとの和睦を主張したが、半年前に内通の疑いで逮捕された。
三日後、軍は父の潔白が証明されたと発表した。ただ取り調べ中に「不名誉な生より名誉の死を選ぶ」と銃で自死したという。なぜ拘束者が銃を携帯できたのか、発表はない。
後任のレムヒ大将は軍学校生で二十歳の一人娘カナタを呼び、父の功績に伴う二階級特進と生涯の年金を約束し、同時に戦地から離れた北方の国境警備隊の辞令を手渡した。要するに厄介払いである。
ラダーの下から声がかかった。
「車長、緊急通信です」
カナタは身を屈めて機内に飛び降りる。男性砲手のラームが通信を読み上げる。
「シムリア偵察用無人機『山猫』一機が侵入。ポイント244で撃破命令が出た。指揮所から援軍が来るけど二時間はかかるよ」
北部は雪が多い山岳地帯で大軍の行軍に向かない。国境警備といっても南・中央の国境と違い牧歌的で、戦闘命令が出たこともない。
「軽装甲の山猫か。珍しいね」とサキ。
「昔は有人兵器だったけど、旧式で大半が自動操縦機になったから。人を殺さなくていいのは助かるな」
カナタは、固めた笑顔を溶かした。
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