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チカをこの手にかけた後、僕はすぐに家を出た。行くあてもなく走って、ふいに川が視界に入る。前日の荒天の影響か、川は濁流。それに飛び込むことを選ぶのに時間はかからなかった。
昨日、僕はそうやって、自らの手で命を絶ったのだ。
死人は生き返らない。しかしそんな当然のことは、今日が始まったその瞬間にひっくり返った。
僕は生きていた。でもすぐに、『川が逆さに流れる日』の話を思い出して、僕は今日一日生き返っただけだと気づいた。
だから、チカもいるはずなんだ。
リカとかいうクソ女に構っている暇はない。今すぐにでもチカを見つけないと、もうすぐチカはきっとまた死んでしまう。
「待って、どういうこと……? 僕がそうって……ケイタも死んだってこと? そんなの、嘘――」
リカはすがるように僕にしがみつく。
「だから、お前に構ってる暇なんかないんだ! 離せよ、この――」
僕が拳を振り上げて、チカによく似たその顔に振り下ろそうとした、そのとき。
「チカ……?」
リカの視線は、僕の後ろへ向いていた。今、誰の名前を呼んだ?
息をのんで、振り向く。そこには、願ってやまない存在が、当然のように立っていた。
「リカ、久しぶり。ケイタ君、昨日ぶり」
めちゃくちゃになった顔は、元通りになっている。血色のいい肌は、生きた人間のそれだった。
「チカ、チカだ……チカ、ごめん、僕――」
「ケイタ君、あなたと話してる暇はないの。わかるでしょ?」
4時44分まで、あと十分。チカは冷酷に言い放つ。
「チカ、私……チカのこと、好きだったよ。チカになりたいくらい、好きだったよ」
「リカ、ごめんね。あなたのこと、嫌うようなフリして。本当は私だって、リカのことが好きで大切だったよ。リカがケイタ君みたいな人を好きになるなんて信じたくなかったの」
チカとリカは、抱擁する。美しい姉妹愛。一体僕は何を見せられているんだ。
「おい、チカ! そんな女いいから、僕と……ほら、指輪! そいつの手にあるから、受け取ってよ! なぁ、それで僕は満足だから……死んでも、あの世で、ずっと一緒に……」
「ケイタ君、私、今日一日、ずーっと、何してたと思う?」
薄く微笑むチカの表情。何を考えてるかわからない。
「え? えっと……なんだろ……」
「私のこと、全然わからないんだね。リカを私と間違えるくらいだし、やっぱり全然、私のことを愛してないね」
「そんな――」
すぐに否定できなかった。それはきっと、芽生えてきたからだ。罪悪感や、おかしいのは自分だったと思う気持ちが。
「私はね、ケイタ君をどうやって殺してやろうかってずっと考えてたの。ほら、いろんな凶器、用意したんだよ」
チカは、肩から下げていたトートバッグの中身をぶちまける。包丁。ロープ。アイスピック。薬剤。簡単に手に入って、簡単に人を殺せるもの。
「残りの数分、最後のお別れ、楽しもうね!」
そういえばしばらく見かけていなかった、チカの満面の笑み。その瞳に宿る光は、とても正気のものとは思えなかった。
僕が二度目の死を迎えるその瞬間。
「リカ、あんたはもっと、いい男を選びなよ」
チカは視線も、言葉すらも僕に向けない。何度目かもわからない痛みと衝撃を感じて、僕の視界は闇に染まる。
最後に見た時計は、4時44分を指していた。
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