鬼が恋う

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 もともと、わたしは美しかった。  自分でもそう思ったし、ひとにもそう言われた。  実家は舞踊の名家で、刺繡のほどこされた鮮やかな着物を何着も持っていたし、かんざしだって高価なものばかりそろえて、自分を着飾ることに余念はなかった。美しい自分に誇りがあった。国でいちばん美しい舞い手になることが夢だった。  けれど今年の春、花の宴に出かけたときのことだった。  それは帝が主催する宴で、招かれることは最高の名誉だ。浮足立って、わたしは家族や使用人たちと、馬で山道を進んでいた。  とつぜん、鬼に襲われた。  鬼は、ひとを襲い喰らう異形のものたちだ。姿はさまざまだが、どれも背筋におぞ気が走る醜悪なものばかり。思い出すだけで、胃からなにかが込み上げそうになる。鬼の姿を見ただけで乗っていた馬は暴れ、わたしは山の斜面を放り投げられた。  死ぬのか、と思った。  でも、気づいたら、あの土蔵にいた。 「目が覚めましたか」  黒羽の声ははじめから、やさしかった。  土蔵の中は闇しかない。なにも見えないことに恐怖した。そのうえ、身体のあちこちが痛かった。起き上がることも、指先ひとつ動かすこともできない。 「――今度は、暴れないようお願いします」  わたしは声のするほうを見た。やはり、なにも見えなかったけれど、声はする。とても迷うような口ぶりだった。 「覚えていませんか? さきほど起きたとき、その……ご自分のお顔を見て、あなたはとても驚かれて……まるで鬼のようだと」  叫び、泣き、怪我をした身で暴れ……、手がつけられなかったのだという。斜面を落ちたとき、わたしは顔に怪我を負ったようだった。見るも無残な、まるでわたしを襲ったあの鬼たちのような、ひどい顔になってしまった。一度起きたわたしは、そんな自分を見て気が狂い、すぐさま意識を手放し、また目覚めたらしかった。  全身包帯に巻かれていたのだから、顔がどれほどになっているかも察せるというものだ。もう一度顔を確認するだけの強さが、わたしにはなかった。それ以降、自分の姿を見ないように努めた。  黒羽は山に住む一族の末裔で、ひとりで暮らしていた。倒れていたわたしを見つけてからは、ずっと世話をしてくれている。春が過ぎ、夏が終わって、秋が訪れた。黒羽はずっとそばにいてくれた。  土蔵には鏡がない。灯りはほんの小さなものが、ひとつきり。出歩くのは暗い新月の夜だけ。わたしたちは互いの姿を隠し、声だけを頼りに過ごしてきた。
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