鬼が恋う

7/10
前へ
/10ページ
次へ
「なぜ、出てきたのです? 今宵は満月なのに。どうして」  異形の姿から、黒羽の声がする。  その声に、困惑しつつも、言葉を返してしまう自分がいた。 「薬壺を、忘れていったから……」  ふるえる手で、袖に入れていた薬壺を出す。鬼のぎょろりとした目が、それを捉えた。ひっ、とわたしは息を呑む。 「届けに来てくれたのですか。……しかし、あなたは出てきてはいけなかった」  それはどこまでも、いつもと同じ黒羽の声だった。すこし寂しそうなだけの、いつもの声だった。 「せめて、新月の夜であれば、よかったのに。姿もなにも、隠せはしませんね」  思い知らされる。この鬼が、春からともに過ごしてきた、あの黒羽だと。 「……鬼、だったの」  絞り出すような声しか出なかった。 「どうして」  どうしてわたしは、美しいままなの。  どうしてあなたは、醜いの。  さきほどの鬼の言葉を思い出して、はっとする。 「まさか、わたしを喰うつもりで閉じ込めていたの? (ふと)らせて、喰うつもりで……」 「ちがいます」  すがるような声で言われて、わたしはかっと身体が熱くなった。そんな声をしたいのは、わたしのほうだ。 「じゃあなんなのよ……! なんで騙したの! わたしが醜くなったっていうのは、嘘だったんでしょう? どうして!」 「……騙したことは、事実です。いのりは崖から落ちても、幸い顔だけは怪我がなかった」  黒羽の裂けた口から、声がする。 「ですが、喰うつもりはなかった。本当です」  むき出しの骨だけの手が、黒羽の胸に当てられた。 「鬼は……、わたしは、醜い。ひとの子は美しいから、ずっと、あこがれていた。親しくなりたかったんです」 「だから、わたしを閉じ込めたの? 嘘までついて」  ぎょろりと彼の目玉が動く。醜悪な姿を縮こませる。 「本当は怪我が治るまでと思って、連れて帰ったんです。だけど眠っているあなたを見るうち、苦しくなった。……わたしは醜いから、あなたが美しい限り、まぶしくて近寄れない。だから……、自分は醜いとあなたに思い込ませるしかなかった。醜い者同士ならば、となりにいても許されると思って」 「そんなことのために、わたしを騙したの」  目の前に一瞬の火花が散り、薬壺を投げつけた。 「わたしは醜くなった自分を嫌悪して、舞い手になる夢まであきらめたのよ! どれだけ苦しかったと思ってるの!」  この恐ろしい鬼に、騙された。  ずっとともに過ごしていた彼が、こんな醜い鬼だなんて知らなかった。  腹の底からの叫びがあふれた。 「ふざけないで!」  背を向けて走り出した。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!

13人が本棚に入れています
本棚に追加