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涙が止まらなかった。
ずっと騙されていたのだ、あの鬼に。夢を失い、自分に怯え、悩み苦しんできた日々はなんだったのだ。いや、それ以上に。
親しくなれたと思っていた。なのに、嘘をつかれていた。
好きだと思ったひとが、あんな醜い鬼だったなんて、信じたくなかった。
いままでのすべての生活が、砕けて消えていくようだった。
全身が引きちぎられそうな衝撃だった。
「鬼なんて、人喰いの醜悪な化け物じゃない……!」
ぎょろりとした目玉も、裂けた口も、骨の手も、鱗で覆われた手も。
ぜんぶぜんぶ、醜いだけの化け物だ。
あんな鬼と、親しく語らっていたことが、恐ろしい――。
『醜いわたしを、受け入れてくれたら』
とうとつに頭によぎった自分の声に、はっとして足を止めた。けれど、頭をふって山をおりる。わたしは人里に帰るのだ。
『こんな醜いわたしでも、愛してくれるだろうか』
息を切らして、涙をこぼして、駆け抜ける。
『どうか、醜くても、嫌いにならないで――』
「……なんなのよっ!」
うめいて、落ち葉の上に膝をついた。涙が地面に落ちる。全身が熱い。
わたしは黒羽の想いがわかる。わかってしまう。だって、わたしがそうだった。醜い自分を厭う心も。醜くても、受け入れてほしいと願う心も。ぜんぶぜんぶ、苦しいほどに、わかってしまう。
でもあんな恐ろしい鬼のことなんて。
――彼は、恐ろしいのだろうか?
黒羽は、わたしを喰う素振りがなかった。助けてくれた。ずっと面倒を見てくれた。
声がやさしかった。
いつも穏やかだった。
笑いかけてくれた。
彼と一緒にいるのは、楽しかった――……。
山をおりれば、ひとの里に帰れる。このまま帰れば、もとの生活にもどれる。山での出来事なんて、なかったことにできるだろう。わたしが彼といて幸せを感じたことも。彼を好きだと思ったことも。ぜんぶぜんぶ――。
「ふざけんじゃないわよ……!」
ぐっとこぶしをにぎり、来た道を駆け出した。
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