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「黒羽」
彼は変わらず、川岸にいた。むき出しの目玉が、わたしを捉えた。どうして、と裂けた口から情けない声がこぼれた。
わたしは彼の前に仁王立ちになって、睨みつける。
「わたしを騙したこと、謝って」
「え」
「わびのひとつくらい、入れなさいって言ってるの」
「……騙して、ごめんなさい。本当に」
大きな身体を丸めて、黒羽はふるえながら言った。
「いのりが苦しんでいるのを見て、ずっとずっと謝らなくては、と。あなたはとてもきれいだ、と、言わなければと思っていました。それができなかったのは、わたしが弱かったからです。本当に、ごめんなさい」
満月の灯りの下で、異形の姿がよく見える。ひととはかけ離れた醜い姿だけれど、彼はまちがいなく黒羽だった。
穏やかで心やさしい、黒羽だ。
わたしは息を吸うと彼に歩み寄り、骨ばかりの手をにぎった。ずっと触れることを許されなかった、黒羽の手だ。はじめて触れた。
「い、いのり……」
「わたしも悪かったわ。さっき、助けてくれて、ありがとう」
黒羽は息を呑んだ。
「怖く……、ないのですか。恐ろしいと、醜いと、思わないのですか」
口をつぐみ、考える。
黒羽の目玉を見て、裂けた口を見て、考える。
「――黒羽は、いつだってやさしかった」
「え」
「だから、怖くない。醜くくもない」
彼の顔を、両の手ではさむ。
「黒羽は、きれいよ」
わたしは、彼が美しいことを知っている。
やさしいことを知っている。
あたたかいことを知っている。
それ以外に、なにが必要だろう。
「わたしは、あなたが好きよ」
黒羽の姿を見ないまま好きになった。いまさらどんな姿をしていようと構わない。
「たとえ黒羽が自分を醜いと思っても、わたしは美しいと思うわ」
わたしは黒羽を受け入れよう。
わたしが黒羽にそうしてほしかったように――。
「黒羽は醜くないわ」
「……いのり」
そのとき、黒羽の瞳から流れ出た涙は、血のような色だった。とめどなくあふれるから、わたしは袖を当てて拭ってあげた。彼は「ありがとう」と泣き続けた。わたしは、そばに居続けた。
「……いのりのほうが、わたしよりも、ずっとずっと、おきれいです」
やがて彼はそう言って、笑った。
「まあ、それは当然ね。わたしをだれだと思ってるのよ」
わたしも笑みを浮かべてやった。
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