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第二夜 槍は手放せど忠は放さず
朝一番に、十兵衛は盥に湯を張り手拭いと糠袋を用意し、篤実へ行水を勧めた。
篤実も此れを受け入れて、旅の汚れを落とす。その後十兵衛は洗濯をするために盥の水を入れ替えながら、着替える途中の若君へ口を開いた。
「少し遠出をすりゃ、温泉も湧いてるが」
「よい。此れで足りる」
「然様でございますか。……時に、替えの衣は何処に、若。いや……着物もですが、刀とか――」
「無い」
篤実は間髪入れずにはっきりと言い切った。
薄々にそんな気はしていたのだが、こうも言い切られるとそれ以上深く尋ねるのは無礼に当たると、十兵衛は息を飲み込んだ。
「…………御身一つで都より遠路を見事。流石若君にございます」
代わりにそんな言葉を、今一気の利かないと自負する頭から捻り出して十兵衛は頭を下げた。その頭を、まだ水気を僅かに含んだ柔らかな手がそっと撫でる。
「余はそなたのそう云う振る舞いが、好ましい」
篤実の何処か淋しげな溜め息が十兵衛の鼓膜を震わせた。
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