第二夜 槍は手放せど忠は放さず

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「一つ、頼みがある」 「儂に出来ることでしたら、この十兵衛、全身全霊をかけて」 「……外の者に、余の名は伏せてくれ」 「は?」 篤実の申し出に十兵衛は顔を上げた。 声とにおいと気配で、若君の顔と思しきに視線を合わせるようにする。 「いや、しかし……昨日の時点で若君のお姿は、この集落の他の者も見て…」 「余の名を知る者は然程居るまい」 「……然様で…ございますか」 十兵衛は再び口吻(こうふん)を下げた。 十兵衛は噂話の類いが苦手である。噂話そのものよりも、噂話をする人間が好かなかった。 それは武士として槍を振るうよりも前から一貫して変わらない。人の事情に首を突っ込まず、口を挟まない。 当然篤実も、十兵衛のそのような気性は承知していた。 「お主には、要らぬ苦労をかける事になるが、十兵衛」 傅く十兵衛の首へ、しなやかな腕が伸びた。 「わかぎっ……」 行水を済ませ、首に手拭いを掛けただけの、人の肌が十兵衛の首を胸元に抱き寄せた。 昨晩褥の中でその身を抱え暖めた時よりも、篤実の身体をはっきりと感じ、其の柔らかさに思わず口に唾を溢れさせ、喉を鳴らして飲み込んだ。 「――お戯れが過ぎる、若」 其の身を突き飛ばさぬように、細心の注意を払いながら身を離し、十兵衛は一歩後ろに下がった。 「儂の着物でよければ、出しましょう」 「…………ああ、頼む」 昨晩の残りの芋粥を温め直し、茶を入れて朝餉を取る。その間も、十兵衛は気を抜くと今朝の淫らな夢を思い出してしまいそうになり、少しも気が休まらなかった。
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