第二夜 槍は手放せど忠は放さず

8/8
30人が本棚に入れています
本棚に追加
/64ページ
青い舌を見せた男が前髪を掻き上げると、袖から覗く腕には鱗が、手には細い爪が見えた。 「そなたもこの里の爪牙(そうが)の者か? 十兵衛は今、出ておる。按摩の仕事ぞ」 天目屋と名乗った男は顎に手を当てて首を捻った。背負った大きな薬箱を揺らしながら、掃除道具を手に庵へと戻ろうとする篤実にスルスルッと近付いて顔を寄せる。 「な……何だ。何をする、そなた」 「ふぅん……ふうん?」 ぴろ、ぴろぴろと口から覗く舌先が震えては口の中へ引っ込む。顔を覗き込まれた篤実は、数歩後ずさり天目屋から距離を取ろうとした。 「おお、悪ぃ悪い。なんじゃお主、変わったにおいがするのうそれに、よく見たらその衣はおトキちゃんの形見じゃな? 十兵衛、ようやく新しい嫁をもらったか」 「ち、違っ! 己は」 「おれ? うん?」 掃除道具を拾い上げ庵へ戻ろうとする篤実の姿を、まじましと見詰めて天目屋は首を傾げた。 「男か、おまえ」 「……男で悪いか、天目屋とやら」 「ふうん?」 天目屋はそのまま若君の着物の裾へ手を伸ばすと、裾からべろりと捲り上げて中を覗く。人に着替えを手伝わせるのも慣れているからか、篤実は平然としたまま只首を傾げた。 「ついとるか判らんくせに、随分火照らせて」  カコォンッ! 「ぎゃあっ!」 「さっきから黙って聞いていれば其方(そなた)、一体何なのだ!?」 空になった桶で天目屋の頭を引っ叩き、篤実もついに怒りだす。尻餅をついた天目屋は殴られた頭を押さえながら漸く篤実から距離を取った。 「何って、十兵衛は儂の弟の様なもんじゃ。可愛い弟の面を拝みに参ったと言うのに怪しい男女(おとこおんな)彷徨(うろつ)いておるからのう」 「お……おとこおんな…」 天目屋が篤実の身上を知るわけも無い。立ち上がると尻についた土をパンパンと払って、天目屋は腕を組んだ。 「此れだけ騒いで出てこんのじゃ、確かに留守なんじゃろ。どれ、中で待たせてはくれんか」 「…………」 「何故黙る、あれは十兵衛の家じゃろう」 「己はその十兵衛の客だが、其方…」 「埒があかん」 天目屋はスルスルッと篤実の横を通り抜け、庵の中へと向かってしまった。 「儂は爪牙と人の半端物での。お主、爪牙の混血は生粋の爪牙とどう違うか知っておるか。ああっと…名前は?」 追いかける篤実に背を向けたまま天目屋は大きな薬箱を下ろし、中から薬壷や薬草を包んだ油紙を取り出し始める。 「…雪政(ゆきまさ)だ」 「ほう。で、混血はのう」 黒い何か干涸らびたものや、離れていてもツンとしたにおいのする生薬も有るらしい。天目屋は庵の中で好き勝手に荷を解いている。 「子が遺せん。半端者の爪牙は、生粋の爪牙と夫婦になっても子が産まれん。人間となら無いことも無い、らしいが…まあ密通じゃろう」 子が遺せないと聞いて、ピクリと篤実の肩が跳ねた。平静を装い話を聞きながら、湯を沸かし茶を入れて天目屋へと差しだす。 「ふぅ…あたたまるわい…いやちっと戻ってくるのが早かった。雪が多い。まぁそういう訳で儂のような混血はのう、概ね所帯を持たん。しかし裏を返せば身軽という事じゃ。儂は長いこと国を回って薬を売る商いをしている」 「……お父上や母上は」 「もう死んだ。さて何年になるやら。親父は戦で討ち死にして、お袋はそれよりも前にのう」 天涯孤独だと打ち明けた天目屋に、篤実は眉尾を下げた。 「……寂しくは無いのか、天目屋とやら」 「ハッハッハッ! そりゃあお主、買った女に聞かれたときは寂しいと言って、それ以外には無いって言うのが男気じゃろ」 「――成る程」 其方の言うことも一理ある、と篤実は天目屋の戯言を受け入れていた。すとん、と天目屋と向かい合うように胡座を掻いて腰を下ろした。 「だから皆、尋ねると寂しがっていたのか……」 篤実のつぶやきを聞きながら、天目屋は広げた薬の真ん中で横に寝転び頬杖を突いてあくびを零した。 「お主……――どこから来た」 「……都……の方、から」 「ほうってどっちじゃ」 天目屋はじろりと篤実を見詰めている。焼き物に使う粘土のような色をした瞳に、孔のように黒い瞳孔がきゅうっと開いたり縮んだりしていた。 「言いとうない」 「そうかそうか。儂ゃ眠い、寝るぞ」 天目屋が茶を飲み干した湯飲みを篤実が下げて、無言で濯いだ。 その日の夕方、天目屋は十兵衛が帰ってくるまで固い床の上でぐっすりと眠りこけたのだった。
/64ページ

最初のコメントを投稿しよう!