第一夜 平安の世に雪舞う

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第一夜 平安の世に雪舞う

 秋空は雲ひとつ無く、一羽の黒鶴が長い尾をひいて悠然と横切っていった。その鳥の行くはるか先には、神代の頃からあると言われる川が流れている。  川の東、碧山(へきざん)のふもとには修練場が設けられ、その一角にはられた陣幕には黒い甲冑を身にまとった(つわもの)が整列していた。陣笠が並ぶ様子は空から見るとまるで黒い碁石が並ぶかのごとくである。 「槍衆! 列が乱れとるぞ」  列の前に立つ大きな男、大神十兵衛(おおがみじゅうべえ)は、ざわつく兵達の中で獅子のように吼えた。  その口は獅子よりも長く前に突き出しており、さながら狼のような形の口先である。陣笠の天辺に空いた二つの穴からは、先端が丸みを帯び毛皮で厚みを持つ耳が覗き、腰からはごわつく灰銀の毛並みに覆われた尾が垂れる。いわゆる獣人、狼男と形容するに相応しい姿であった。  十兵衛に睨まれた兵は喋りながら整列し直す。 「十兵衛(じゅうべえ)どんに怒られちまった。おい、もうちょっと右にずれろ。お主の無駄に長い腕があたって邪魔じゃ」 「なんじゃ、ソウガの(つわもの)なら小さいことを抜かすでない」 「おお? その頭の毛、毟り取ろうか」 「お主ら、黙って並べねえのか……」  中々整列しない男達に十兵衛は溜め息をついた。  整列した兵の半分は十兵衛と同じくいわゆる獣人である。しかもみな見るからに図体が大きい。彼らは肩の広くあつい者、手足の長い者と人間とは違う様々な骨格であった。  違いは体格だけでは無い。十兵衛と同じく毛皮や尾、牙を持つ者ばかりだった。人と異なる風貌の彼らは爪牙(そうが)族と呼ばれる民である。  この修練所にいるのは、爪牙族と人間族が肩を並べる混成部隊。  大神十兵衛はその槍衆、すなわち槍を扱う兵のまとめ役である。まとめ役と言っても、他の兵と出身は変わらない。彼も田舎から出て来た平民だ。 「は……皆、浮ついとると言うのか…」  十兵衛は小さく呟いた。周囲は人間族と爪牙族のにおい、大地の匂い、風に運ばれてくる火薬や油の臭いがたえず鋭い嗅覚に語りかける。十兵衛は、ゔる…と喉を鳴らし顎を引いた。  彼らは今、一人の武将の到着を待っていた。彼らの大将となる者である。 「…東帝サマのご子息とはいえ、元服したばっかの四の宮様が大将ってのはどうなんだ?」  待ちくたびれたとある兵が隣の男にちょっかいを出すように話し掛けた。 「黙っていろ。もうじきお見えになる時間だ」 「そういってもう四半刻は経ってるじゃねえかヨゥ」  ガッ――。  十兵衛は槍の柄で地面を叩き、駄弁(だべ)る男達の傍まで歩み寄りると低い声で叱りつけた。 「――そこ、口を閉じろ。舌を切り落とされてぇか」  黒い兜から黄色い瞳がギロリと気の緩んだ兵達を睨み付ける。その迫力に睨まれた兵は尻尾を垂らして口を閉ざした。 「ッ……!」 「――……」  隊列の前へと戻っていく十兵衛が残した無言の圧に、一同背筋に力を入れ直す。  そこへ馬の足音が近付いてきた。何人かの兵が気がつきざわめいたところで、それを制すように戦太鼓が叩かれた。  ドン ドドォン。  太く張りのある音が響く。皆足をそろえ、隊長が示した方角へ一様に顔をむけた。  ――陣幕の中へと近付いてくる一団の中に他の人間とは違うにおいを持つ者がいた。十兵衛の嗅覚が捉えたのは、化粧や漆の匂いに紛れているが人間族の中でも若々しく、しかし年月を経た香木のような香り。ひとりでに鼻がヒクリと揺れて、そのにおいを追いかけてしまう。 「すまぬ、遅くなった」  ひと目見てその香りの主を確信した。下っ端の兵とは明らかに違う、深い艶を放つ黒漆の鎧兜に身を包んだ品格ある佇まい。従者を従えた四ノ宮が、陣幕をくぐり前へと進んだ。  兵たちの視線が一斉に前に集中する。十兵衛もまた、現れた大将が一歩ずつ進む姿を微動だにせずに見つめていた。  大将として皆の前に立ったのは、小柄な武将であった。兜から覗く唇は紅を引いて赤く、顎は小さく細い。重厚な甲冑をまるで普段の装いであるかのごとく、その歩みは力強かった。しかし、十兵衛から見れば祭りの装束のような印象が拭えないのもまた事実であった。 「……」 「おい、見えるか?」 「いや…オラの所からは見えんぞ」 「本当にいらっしゃったんかあ?」  ひそめてはいるものの兵達のさざめきは伝播する。  先程部下を叱りつけた十兵衛も、己が大将のあまりの小柄さと覗く口元から推し量る華奢な骨格、そして幼さすら憶える背丈に、正直なところ己の中の戦意が良くない意味で冷めていくのを感じた。  さて、これから如何にして部下達の士気を高めたものかと、内心この時間が終わった後の算段に気が向いていた。  だが、皆の前に立った若君が一言発すると場の空気は一変した。 「みなのもの!」  口を開いた次の瞬間響いたのは、爪牙の男が吼える声よりもはるかに大きく、凛と空気をふるわせる声。まるで耳元で大太鼓を鳴らされたかのような驚きに、十兵衛は毛並みをぶわりと逆立て、隊は一斉に静まりかえりその御言葉を静聴した。 「余は新帝が親王篤実雪政(あつみゆきなり)である。此度、余が陛下の(つわもの)である諸兄等の身を預かることとなった。皆に問う。戦場に赴く我等の使命は何ぞ」  問い掛けるも、気圧された兵たちは誰も即答できなかった。しん……と沈黙が満ち風が(すすき)を揺らす音ばかり。  静寂を破るように若君が顎をあげ、高らかに声をはった。顔の上半分は黒漆の兜に覆われ、顔立ちの仔細はわからない。しかし、日の光を受けて輝く瞳は翡翠のような深く鮮やかな緑の色味を見せた。 「よいか! 我らの使命は敵を倒すことでは無い。ましてや余を守ることでも無い! 我等の後ろにいる民と、大地を、西の悪帝から守り抜くことである!」  西の悪帝とは、川を隔てて存在するこの国を二分するもう一つの朝廷を指した。  国の全土に暮らす人間族と、西の島々に居る鱗角族というもう一つの種族から西朝は成る。東の山あいに住む爪牙族を弾圧しようとする旧朝廷に異を唱え、正すべく立ち上がった王弟。ここは彼を祖として興った東朝の最前線、西朝から国を守る要所である。 「鱗角族の鬼妃に唆され民をないがしろにし、我らを賤族(せんぞく)と呼び、この大地と森とそなた達を狙う西朝の悪臣に、我々は決して負けることは無い!」  若大将はそこで、すう…と息を吸い、刀を抜き天へと掲げ、彼らの決まり文句を高らかに唱った。 「始祖神帝(しそしんてい)御旗(みはた)は我らにこそあり!」  神より賜った宝物を模した旗を従者が立てた。風を受けた旗が空を背景にはためく様子に兵達が顔を上げる。  その神々しさに、皆が息を呑んだ。 「篤実親王! 始祖神帝の御旗はここに在り‼」  若武者の力強い声に応えるように男が吼えた。――十兵衛である。  最前列で若大将を見つめる十兵衛は、固く槍を握り締めながら獣耳を震わせた。篤実の放つ香りが再び嗅覚を揺さぶり、美しくも威厳ある姿は小柄であることなど忘れさせ網膜に焼き付けられ、澄んだ声が残響となり鼓膜に染み込んだ。  気が付けば十兵衛もまた内から沸き起こる突風のような衝動に息を深く吸いこみ、声を張り上げていた。  十兵衛の一声を切っ掛けとして一斉に銅鑼(どら)を打ち鳴らしたかのような声が沸き立つ。 「始祖神帝の御旗はここに在り!」 「始祖神帝の御旗はッ! 我等にこそ有り!」  押し寄せる津波のごとく戦意のたかぶった兵達。彼らを前に翡翠の瞳の若武者は、真っ先に吼えた銀狼の男、十兵衛をじっと期待に満ちた眼差しで見つめていた。  斯くして一週間後、小さくとも大きな器を持つ若武者が先陣を切った部隊は、東へと侵攻する西朝の軍を防ぎきり、追い返した。兵達はその猛々しい武勇とほまれを土産に、国と民草に暫しの平穏をもたらしたのだった。
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