第三夜 冠を脱いだ者

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天目屋と十兵衛の付き合いは長い。同じ集落で育ち、年も近い。人間と爪牙(そうが)族の混血であり、寒さが不得手な彼はよく体温の高い十兵衛で暖を取る男だった。堅物と言われ黙々と槍を振るう十兵衛に対して、天目屋は軽薄を装いよく喋るが、(ことわり)の呑み込みが早く手先が器用で色々とやった。 「十兵衛、儂も二、三日目隠しをしてみたんじゃが」 手柄と引き換えに目を失って(いくさ)から帰ってきた十兵衛に、天目屋はそんなことを言ってどう気配を探るのかだとかを自分なりに()いた。おトキが倒れた時は金は要らぬと言いながら薬をくれた。噂話が好きで、冬の間巡った先の流行(はやり)を聞いても居ないのに聞かせてくる。 「男やもめに蛆が湧くなんて事になるんじゃねえぞ。虎の婆さんが腰を揉みに来いと言うとった。早う行ってこい十兵衛」 おトキを失った年は、天目屋は国を巡らず共に墓を建て、何度も庵に顔を出し、塞ぎ込む十兵衛が他の村人と疎遠にならぬよう気を配ってくれた。 対して篤実は短い時間であったが、十兵衛を只の田舎の槍使いから武士(もののふ)、それも一番槍へと変えるに足る時間を共にした。 「爪牙の者が居る隊というのは、こんなにも熱が溢れるのか。戦において健やかな心と体は何者にも勝る」 教練を見てはよく褒めた。自身に経験が足りぬと悩みながら各衆の長を集めて積極的に意見を求めた。人間と爪牙を分け隔て無く接するのは始祖神帝に倣う当然のことだと見目の隔たりを越えて接するが、同時に親王としてのけじめとして弱いところやだらしないところを見せないと己を律する。 「そなた、余が此処へ来たときに真っ先に吼えた槍衆の長であろう」 甲冑を脱いだ若君は更に一回り小さく思えたが、まさか顔を覚えられたとは思わなかった十兵衛は驚くと共に胸が熱くなった。 焙烙玉(ほうろくだま)から若君を庇い、真っ赤な闇に光を奪われながら獣のように周囲の敵を討ち取る己の名を叫ぶ声も、彼自身の他の男達とは違う匂いも、十兵衛の(せい)の中で何物にも代え難い興奮を刻み込んだ。 その二人が己の庵で何をしているのか、既に理解しているのに呑み込むのを拒否する思いが、十兵衛を焼く。 竃門(かまど)の中に落ちたような痛みに包まれて、膝を突いた。 「わ……か……ぎみ」 妻おトキの墓がすぐ近くにあるのに、斯様な姿を見せる自分を止められない。 毎日歩く、ほんの短い距離が永遠に遠く、水の中で溺れたかのように胸が苦しい。 「篤実……様」 手をつき、立ち上がり、走る。 己の庵に転がり込み、驚いた様子の二人の気配を嗅ぎ分けると十兵衛は歯を食いしばりながら天目屋を掴み飛ばし、続いて篤実を己の腕の中に強く抱き締めた。 「じゅっ……」 「十兵衛!?」 二人が驚いた声を上げるが十兵衛は構わず、口を開く。爪牙の名に相応しい牙を見せ、喉の奥からグルルル……と唸り声を上げた。 十兵衛の世界は闇である。しかし、その闇の中に浮かび上がるように篤実の姿が想像できた。抱き締めた痩躯から伝わる鼓動、性臭の青臭い残り香、立ち上る体温、十兵衛の(ころも)を握りしめる手。それらは十兵衛の棲む闇の中に、淡く光浮かび上がらせる。 「若君」 その首筋の柔らかさを牙で感じ取り、揺れる髪に鼻先を擦り付け、背が軋むほどに強く抱き締めて、顎を食いしばった。 「ッ――――あ あ ぐっ!」 ブツリと皮膚が破れる僅かな反応と共に、鉄錆の味と、甘く濃厚な雌の誘引香が十兵衛の脳髄を焼いた。
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