第三夜 冠を脱いだ者

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「り、理解が追いつかぬ」 頭を抱えて十兵衛は唸り、呟いた。それは天目屋も同じだったようで、間髪入れずに何か言ってくるだろう彼が、沈黙したままだった。 「ッ……く……」 「なんじゃ……儂の子種汁を口から飲んだだけじゃ、足らぬと、雪政」 天目屋が頭を掻きながら若君に尋ねると、小さな声でああと肯定する声がした。 「ッ……止めろ竜比古兄。これ以上若君に恥を掻かせるような真似はいかん」 十兵衛は身を乗り出し、手を伸ばして篤実と天目屋の間に割って入った。今すぐ腹を切って死にたいが、己の恥よりも若君に恥を掻かせるわけにはいかない。 「薬はないのか。そういう、粗相に効くような」 「その若さで、怪我をしたわけでもないのに普通は粗相せん」 天目屋の言葉に振り返り、十兵衛は篤実の肩へ手を伸ばした。 「そうじゃ。血のにおいがせんから気付かんかったが、ここまでの道中でどこか怪我をしたんじゃねえのか」 十兵衛の毛皮に覆われた手を、火照った篤実の手がそっと握って、まるで十兵衛の言葉を遮るかのように引き寄せた。 「……違う……怪我は……して、おらぬ」 十兵衛の手が引かれ、篤実の帯よりも下のなだらかな腹に触れてしまう。 「は……くっ」 熱い吐息を漏らした直後に、若君は何かを堪えるように呻き、深く息を吸った。 「余は…元服の儀式に失敗して、()の子としての役目を、果たせなくなった」 「………」 する……と衣擦れの音がした。すると十兵衛の指先は衣ではなく篤実の下腹に直に触れる。 「十兵衛、そなたには見えぬだろうから……天目屋よ。余の腹に何が有るか、説明を、たのむ」 触れた腹に、無意識に十兵衛は掌全体を当てていた。柔らかい。女のような分厚い肉ではないが、元服から少なくとも五年も経っている、甲冑を纏った男とは思えぬほどに、腹に柔らかな皮が乗って絶妙なまろみを帯びており、その下から雄を昂ぶらせるにおいをさせていた。 「……見たことのねえ図じゃ。何かの(まじな)いか。墨を入れたんか」 「いや、墨ではない。墨ではないのだが、消えぬ。そして……これが、余の、本当の姿を暴く」 篤実の身体が震えていた。震えて、褌を濡らして、膝まで潮を垂らしていた。 「元服の前に、試練として施された。余が真に男ならば、この紋は消えて、立派な世継ぎを作れると。だが、そうでなかったら……真の男でなければ、紋は消えずに女の、雌の欲に――呑まれると」 「雪政…」 十兵衛はそっと篤実の身体を探り、乱れた着物を整えさせる。そうして、彼の前に改めて膝を突き項垂れた。 「若君が、真の男でないなど、ある筈が…」 「己だって! 己だって、信じとうなかった!」 は、は、と短く息をする篤実が再び膝から崩れ落ちた。十兵衛が肩に触れると、篤実はその手をパンッと弾いた。 「戦で南朝の悪鬼を討つにも、そなたらに庇われて震えながら虚勢を張るのが精一杯じゃ! 都からここに来るまで、他にやり方もあったとわかっているのに、己は自分から男に媚びを売った! こんな奴の何処が…どこが、――父上の、息子か…十兵衛の……目を潰してまで…生きる価値があるものか…」
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