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声を震わせ、息を荒げ、吐き捨てるように叫んだ篤実はふー…ふー…と手負いの獣のような息を吐いた。まるで最後の虚勢に涙を零すまいとするかのように。
「阿呆らしい」
真っ先に異を唱えたのは天目屋だった。物音からして、自分の薬箱を担ぎ上げたのだろう。
「儂ゃ今日は他所で寝る。これ以上お主らの痴話喧嘩に付き合ってられん」
そう言いながら、項垂れた十兵衛の肩を優しく叩いた。
「しっかりせえ十兵衛。一番槍が泣くぞ、ここが踏ん張りどころじゃ」
「…竜比古兄…」
天目屋は小さな声で囁いて、離れていく。
庵の外はまだ雪が残っている。
「おお、偶には早めに帰ってくるもんじゃの。残雪に月は粋なもんじゃ。なぁ?」
誰に向かっていうでもなく、しかしやたら目立つ声で天目屋は独り言ちて歩き出した。ざくざくと濡れた落ち葉を踏む足音が遠ざかる。
十兵衛は顔を上げた。
傷痕を覆う目隠しを解き、ふう…と息を吐く。徐々に若君の息が落ち着くのを待ちながら、十兵衛は黙り込んでじっと考え続けた。
一番槍など、欲しくて手に入れたものではない。
槍を振るただそれしか能が無いと思っていた。槍衆の頭になったのも、少しばかり融通が利かないのを真面目だと良く取って貰っただけだ。
だがそんな、己は戦場で焙烙玉を目にした瞬間考えるよりも先に身体が動いた。最後に兜を被った若君の碧眼を焼き付け、顔を焼かれた瞬間突き動かされ、獣の如き本能で進んだ。光は失ったが、それがどうでも良いことに思えるほどに戦場での自分はどうかしていた。
では、今の自分は、大神十兵衛はまともか?
「まともなものか…」
十兵衛は独り言ちたが、篤実はその独り言を別の意味に取ったようだった。急に立ち上がり、十兵衛の横を通り過ぎようとする。
「若君ッ」
「そうだ、己はまともじゃ無い」
「篤実殿、違う!」
「お主もそう思っておるのだろう! 十兵衛」
「貴方様がまともじゃねえなら、それは世の中が間違っとるんじゃ!!」
手を伸ばし、再び篤実の腕を掴むと腕の中へと抱き込んだ。己の毛皮に覆われた胸に、篤実の頭を押し付ける。
「ッ 離せ、はな……せ…さもないと」
「儂が、共に狂います。若君」
篤実の肩から首を撫で、上を向くように促す。親指で頬の形を撫でて、そして口元をなぞりおとがいを掴む。
もう片腕を腰へ回し、胡座を掻きながら半ば無理矢理膝の上へと抱き込んだ。
「――十兵衛……覚えておるか。己が、修練場へ赴いて、初めてそなたらと、勝利を誓った日のことを」
十兵衞の胸の中で、上を向き視線を合わせながら若君が呟いた。
「はい。どんな鳥よりも力強く、儂らの士気を高めてくださった」
「真っ先に応えてくれたそなたの事が――戦場を離れても忘れられなかった。亡くなったとはいえ妻君が居るのも知りながら……そなたに抱かれたくて、此処まで来てしまった」
十兵衞は顔を寄せ、舌を覗かせて篤実の顔を舐めた。
「許されぬ事だと思っていた。わかっていた。しかし……もう、こんなはしたない身体で、戻る場所も無くなった今、ただ――ただ」
「はい」
するりと、腕が十兵衞の首に絡み付いた。
「そなたとのまぐわいに溺れたい……十兵衞」
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