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第四夜 心の在処
「ぐわっ!」
「!?」
翌朝、十兵衛の声で篤実は目を覚ました。隣で寝ていたはずの十兵衞が布団の外にいた。
「人が心配して来てみりゃお主ら…」
十兵衞が天目屋に蹴り飛ばされていたのである。
「た…竜比古兄…なんだ、いきなり」
「いきなりじゃあないわ。もう昼過ぎじゃぞ、お主らヤりまくって寝とったと顔に書いてある」
「なっ…」
十兵衞と篤実の声がぴたりと重なった。
確かに二人とも着物は無いわ、天目屋に蹴り飛ばされた十兵衞は、あちこちの毛並みがガビガビに固まっているわ、篤実の身体には幾つもの痣が残っているわ。
篤実が外を見ると、確かに木々の合間から覗く陽が南を過ぎている。
「目の遣り場がねえなぁまったく。お姫さま」
「お、己は男の子ゆえ、姫では……」
のそりと起き上がる灰狼の十兵衞と、固まる篤実の前にしゃがみ込む青蜥蜴の天目屋。
目の遣り場が無いと言いながら、天目屋の手が篤実の顔へと伸びる。篤実はぴく、と肩を強張らせながら、じっと天目屋の顔を見詰め返した。
「何しに来たんで、竜比古兄」
「お主昨日自分が言ったことも忘れたか。粗相に効く薬はねえのかと言ったのはお前じゃろ。ほれ、口を開けろ雪政」
天目屋に促されて、篤実は口を開ける。舌を見せろと言われたり、瞼の色を見られたり。十兵衞は天目屋に話し掛けようとして、臭いから身体を洗ってこいと言われてしまった。
篤実が見ていると、十兵衞は裸のまま心なしか肩を落としつつ、チラチラと篤実と天目屋の方を振り返りながら湯を沸かし始めた。
「なんじゃ? 憑き物が落ちたような面じゃな。昨日より面に柔らかさがある。あー…粗相以外に困っとることはあるか。口が渇いたり、手や足は冷えんか」
「え、ああ……そう言われると、そう…かもしれない」
篤実が目の前の天目屋から、湯を沸かす十兵衞の背中へ繰り返し視線を移動していると、ときどき十兵衞も振り返る。視線が合うような感覚になるが、十兵衞は見えるわけでは無いからか、すぐに十兵衞との視線は外れてしまう。
ぺち、と天目屋に頭を軽く叩かれた。前を向くと青い髪の彼は眼鏡の奥で目を半目にしている。
「腎を補う薬と言ったところかの。ほれ、わんころ見てぼーっとするんじゃねぇ。服を着んか、服を」
「…薬屋なのは、真だったのだな」
篤実の台詞に天目屋はけらけらと笑いながら薬研を取り出し、胡座に抱えた。生薬を取り出し、量り、数種を混ぜて磨り潰す。
「なんじゃ、なんの商いなら納得する。忍びか?」
「草の者は、己は会ったことが無い故、よくわからない」
着物を羽織る篤実の前でゴリゴリと音を立てながら天目屋が薬を作った。独特の苦そうなにおいがする。
「のう…その薬は、その…苦いか」
「飴のような甘さは無ぇなぁ」
「……そ…そうか」
口籠もる篤実に、天目屋がニヤリとした。
「なんじゃ、苦い薬は苦手か。餓鬼じゃのう雪政」
「む…餓鬼ではない。飲め……る」
すると篤実の背後から、ぬっと太い腕が伸びて身体が掴まれた。驚いて振り返ると、濡れたままの十兵衞が服を羽織って、庵の中へと戻っていたのだった。
「竜比古兄、若君を困らせるんじゃねえ」
「濡れ衣じゃ。においで分かるじゃろ、薬を作っておる」
十兵衞が篤実の肩のそばでスンと鼻を鳴らしてにおいを嗅ぐので、篤実は耳から首筋までかぁっと熱くなってしまった。
「じゅ…十兵衞、その…近い。己も、……身体を洗いたい」
湯はまだ残っているか、と小さな声で訊ねながら、篤実は己の身体を緩やかに抱き締める十兵衞の腕に手を添えた。胸中うずまく離れがたい切なさに、眉尾を下げているのを天目屋に確と目撃されたが、彼が何も言わなかったので篤実がどんな顔で十兵衞を見詰めているのかは伝わらなかった。
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