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双葉台駅に着くと、改札を出る前に粕谷がベルトに手を当てて言った。
「わり、俺うんこ。先行ってて」
佳織は「あいよー」と単調に答えて、改札を抜けた。天井の蛍光灯が切れかけている、数人しか歩いていない構内を出口に向かって歩き、階段を降りた。繁華街の明るさと賑やかさが嘘のように、真っ暗の夜の色と、静けさ。頬の熱さも醒めて、ひゅっと来る風に肌寒さを感じながら、コツンコツンと金竜軒を目指した。
最近出来たコンビニか、長年営業している古びたスナックかしか照明が付いていないような町だ。金竜軒もやってるといいんだけどと、佳織は、角を右に曲がると見えるはずのラーメン店の明かりを確かめるように、視線を先に向かわせながら曲がった。
金竜軒の場所に、明かりが灯っている。佳織はほっとして真っ直ぐ向かった。しかし、だんだん近づいて来ると、違和感を覚えた。金竜軒の外観は、佳織の記憶上、黄色い暖簾に、赤い筆文字で『金竜軒』と書いてあって、薄汚れたすりガラスの引き戸だ。だが、その記憶とは違う雰囲気がする。暖簾は白い無地で、すりガラスは綺麗で新しい感じがした。中から白い照明が眩しいほど漏れ出ていて、本当にラーメン店なのかわからなかった。
佳織にとっては、今日のために実家に戻って来た、久しぶりの地元駅だ。変化があってもおかしくない。
お店、改装したのかな。それとも別のお店になった? 本当にやってる?
佳織は店の前で立ち止まり、先客がいるか、ラーメンの香りがするか窺ったが、そのような様子はない。粕谷が来てから一緒に入ってみるかと、しばらく後ろを見ていたが、一向に粕谷が追い付いて来る気配もない。このままここに突っ立っていても、引出物の紙袋は重いし、ヒールで足は棒になっている。早く座りたいという気持ちが勝り、まずは入ってみようと引き戸に手を掛けた。
カラカラカラと、屈みながら恐る恐る入店する。
「いらっしゃいませ」
低音ボイスの、紳士的な挨拶が耳に入ってきた。見ると店内は真っ白で、正面に、左右の壁から壁までの、白くて長いカウンターと黒革の丸椅子だけがどんとある。カウンターの中に、バーテンダーさながらの人物が一人、お辞儀をしている。
厨房はおろか、バーのようにお酒の瓶が並んでいる訳でもなく、店内ポップのようなものさえ何一つ無い。ただカウンターの向こうに、黒ベストと黒蝶ネクタイの、低音ボイスのお兄さんがいるだけだ。何の店なのかさっぱりわからない。
佳織は慌てて、「あ、すみません。お店を間違えました」と頭を下げ、店を出ようとした。が、さっき開けたばかりの引き戸が見当たらない。
変だな、と、きょろきょろしていると、紳士的な声が佳織を呼び止める。
「お客様、ご安心くださいませ。せっかくお越し下さったのです、ごゆっくりお寛ぎ下さい」
店主、というより、マスターといった方がいいかもしれない。マスターの方を振り返ると、先ほどから変わらない笑みを佳織に向けている。
「ご注文は、ジャンキーなもの、でしたね」
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