番外編 牢の中で

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番外編 牢の中で

※ あまり後味が良くないので、征雅がどうなったのか気になる方だけご覧ください。  龍美(たつみ)征雅(せいが)は、貴族の犯罪者として、個室の牢を与えられていた。  畳の室内は綺麗に整備されており、トイレが室内にあるのが幽囚の身であることを思い起こさせるものの、布団は上質なものを宛がわれている。  しかし、その布団は引き裂かれていた。壁は石づくりなので破壊されることは無かったけれども、 殴りつけたのだろう、なするような血の跡が付着している。 (どうしてこうなった。どうして、どうして、どうして!)  征雅は自問自答する。  どうしてこうなったのかと。  高貴なる自分が、このような場所に押し込められる羽目になってしまったのかと。  発端は、あの子狐だ。  征雅は、ただ道を歩いていただけじゃないか。  なのにあの狐は征雅に、異能の力を封じるなどという、とんでもなく酷いことをした。  それをやめるよう、仕置きをしただけだ。それの何が悪い。 (女、子どもだから? それこそ差別ではないか)  高貴なる身分の征雅に、非道な真似をしたというのに、あの子狐はなんの咎めもなく過ごしているに違いない。  身を焼くようなその怒りに、征雅が震え、再び布団を引きちぎり、彼だけが居るその個室に羽毛が舞い散る。  高貴なる身分の征雅を崇めるべき。  女、子どもとして擁護されるのは許さない。  差別するべきだと考え、差別するべきではないと考えるその矛盾に、征雅は考え至らない。いや、考えてはいけないのだ。それは、征雅のことを尊重しない思想(考え)だから。 (それだけではない……)  あの子狐のせいで、征雅のやったことがバレてしまった。  四年前のあの日、これに力を籠めれば狐は居なくなるとそそのかされた、あのときのことが。 (いや! あれは、知らなかった。狐が居なくなると、そう言われただけだ。無償で具物に力を込めて渡した。それだけ)  実際のところ、征雅は知らなかった。  自分の力を込めた具物が、あのような使い方をされ、萩恒家の者を一掃するために使われるなど、知らされていなかった。 『これに力を籠めれば、狐が居なくなります』  そう、あの怪しい奴に、それを言われただけ。  あいつ。  全てはあいつだ。  あの男が――。 (あの、男……?)  霞がかるその記憶に、征雅は眉を顰める。  男がいたはずだ。……多分、音梨家の者。何しろ、あのような具物を用意できるのだ。そうだ、音梨家以外の者であるはずがない……。  頭の中の靄が腫れず、征雅が自らの記憶をいぶかしんだその瞬間、カツンと地下牢の廊下から音がした。  ハッと顔を上げ、鉄格子でできた牢の扉に目をやる。  カツン、カツン、と近づいてくる足音。草履でも、下駄でもなく、洋靴のもの。  誰だ。  洋靴を履くことができて、ここに居る征雅に会いに来るような者。  鉄格子の向かいに現れた人影を見て、征雅は目の前が開けたような思いがした。  そこに居るのは、そこに居たのは。 「兄上!!」  誰よりも尊敬する兄が現れたことで、征雅は喜びの声を上げた。  相手の表情が、氷よりも醒めているそのことは、思考の外にあった。  兄が来た。兄が来てくれた。  ならば、征雅は大丈夫。  彼が来たのであれば、龍美家の力で、征雅はこの牢獄から出ることができるに違いない。 「兄上、助けてください! 全て誤解なんです。悪いのは、俺じゃなくて、全部狐で!!!」  征雅は兄に縋った。声を上げて、叫んだ。冤罪であると、自分は悪くないのだと理解してもらうために。  だって、全てはそう、龍美家の――兄のためにやったことなのだから。  狐が目立っていたから、征雅の大切な兄が、目立たなくなってしまった。  狐が調子に乗っていたから、征雅の兄の力が、ないがしろにされた。  龍美家の、兄の、泰雅(たいが)の力を。  しかし、その縋るように、拝むようにして牢の格子を握る征雅に降り注いだのは、ただ一言だけだった。 「見損なった」  たったそれだけ。  いつもと違う、低い声で、小さく呟くように言われたもの。  本当にただそれだけだったが、その音は、征雅の心を真っすぐに抉った。  灰色の瞳は絶望に染まり、体から力が抜けていく。  どうして。  だって、全部、ぜんぶ、あにうえのためで。  なのに、なんで、そんな。  目の前が真っ暗に染まった征雅は、力が抜けていく自分の体の異変に、気が付かなかった。  気が付かないまま、そのまま、闇に堕ちていく。  そうして崩れ落ちていく征雅を見ながら、()()は手元の玉を見つめ、にやりと口元を歪めた。 「……あの方も、人がお悪い」  征雅の力を吸い、良く色づいた玉にほくそ笑んだ男は、もう灰色の髪をしていない。  この国でよく見かける黒い髪をした彼は、洋靴をカツンカツンと鳴らしながら、地下を歩く。 (狐が、花嫁を定めたか)  萩恒家から、狐が現れた。  ちょろついている子狐に、龍美家を物理的に押し潰した大狐。  萩恒家の周りに、狐の気に入る女がいる。  これからのことを考え、腹の底から湧いてくる笑いを抑えつつ、男は足早にその場を立ち去ったのだった。
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