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ある月夜の惨劇
それは、朧気な光沢を纏った美しい月が煌めく、とある夜のことだった。女王は寝室の窓から月を見上げたかと思うと、狂的に声を張り上げ、執事を部屋に呼び出した。
「この世で一番、美しいものは?」
「もちろん、女王様でございます!」
「それは真実か?」
「もちろんです」
「ではなぜ、民は寄ってたかって美しいと称賛し、あの月を眺める?」
女王の威圧的な詰問に言葉を詰まらせ、執事は慌てふためいた。
「答えよ! なぜだ?」
「そ、それは……」
「わたしはあの月が憎いのだ。唯一無二の美を持つ私にとって邪魔な存在。この世で最も美しいものは、この私以外に必要ない。お前に命ずる! どうにかしてあの月を消せ!」
「そ、そっ、それはさすがに……」
「さすがに?! なんだ? 口答えするのか?」
執事の煮え切らない態度に苛立つ女王。ブロンドの髪を掻きむしりながらさらに詰める。
「お前は本当に低能だな! 無理だ無理だとほざく前に、無い知恵を絞りなさい。大砲で打ち砕くなりして、とっとと消してしまえ!」
次の夜、月の爆破作戦は決行された。空に浮かぶ月球に向けて、仰々しく並べられた大砲の数々。執事が号令をかけると、次から次へ爆音を轟かせながら、砲弾が月に向かって打ち放たれた。
当然、月になど届くはずもない。的を射ることなく、文字通り空を切る砲弾は、丘の向こうへと姿を消していった。
「情けない……」
展望塔の窓から一部始終を眺めていた女王は、その表情を歪ませた。そして、沸々と湧き上がる怒りに任せ、執事たちを呼びつけた。これから下されるであろう慈悲なき罰。執事や主要な兵士たちはそれに怯えながら、女王のもとに集った。
「この無能どもが……」
「誠に申し訳ございません!」
女王の前に立ち並ぶ者たちが、声を揃え、一斉に頭を下げる。
「無能な者は、この国には不要だ」
女王はそう言い放つと、手にしたピストルを眼前の男たちに向け、容赦なく引き金をひいた。月明かりに照らされた城の中には、無情な銃声だけが鳴り響いた。
その夜は、年に一度のお祭り。月夜祭が開かれる夜だった。民衆たちは逸る気持ちを抑えきれず、陽気に騒ぎながら祭り会場へと向かっていた。と、その時だった。民衆は一匹の化け物と遭遇する。
その化け物はあまりにも醜くかった。怒りに歪んだおぞましい顔面。薄汚れたブロンドの体毛。体から発せられる鼻をつんざく悪臭。ついさっきまでの陽気さがまるで嘘のように、民衆は恐怖に打ち震えた。
「それほど月が美しいと言うのなら、二度と月を拝めなくしてやるわ!」
化け物はそう叫ぶと、口から猛毒の霧を吐き出した。
右往左往しながら逃げ惑う民衆。泣き叫び、押し倒し、我先にと化け物から逃げ狂う。その乱痴気ぶりを嘲笑いながら、化け物は容赦なく猛毒の霧を吹きつけた。そして毒を浴びた者たちは、すべからくその視力を失っていった。
目の見えなくなった者たちは、悲痛な叫び声を上げ、顔面を両手で覆いながらその場にへたり込んだ。凄惨な景色に満足した様子の化け物は咆哮する。
「支配すべき愚民どもなど、盲目くらいがちょうど良いわ!」
倒れ伏し、身悶える民衆の中から、化け物はひとりの少年を指差し、そばに来るよう命じた。少年は怯えながらも、勇気を振り絞り、化け物のそばに歩み寄った。
「お前に聞こう。この世で最も美しいものは何だ?」
すると、少年は空を仰ぎながら言った。
「もう、僕の目は見えません。この目に美しいものが映ることは二度とありません。ただ、空に煌めくキレイな月は、この心の中でずっとずっと輝き続けます」
少年の言葉を聞いた化け物は、またたく間にその体を萎ませ、いつもの美しい女王の姿へと戻っていった。
「もう、よい」
力なく吐き捨てた女王は、自身を照らす月を一瞥し、民の前から姿を消した。
その町の外れには、月の光さえ届かぬほど、鬱蒼とした木々が生い茂る樹海があった。そこは自殺志願者を手招くことで有名な場所。女王はそこに身を潜め、月とは無縁の生活を送っていると囁く者もあれば、樹海の誘惑に負け、人知れず命を絶ったと噂する者もいた。
ただ、民衆をさらに不安にさせたのは、女王の不在により即位した若き国王。民衆に向けて放たれた叫びを耳にしたからだ。
「俺様はこの世の象徴。唯一無二の存在だ! 皆の者、思わないか? あの太陽が邪魔だと」
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