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一ノ瀬潤(いちのせじゅん)は、最近暇を持て余していた。二十七才、独身のサラリーマン生活は順風満帆。そこそこの役職について、金にも困ることはなく。ただ半年前に恋人と別れてしまってからは砂漠のように乾いた生活が続いている。それでも潤は、焦ることはなかった。そもそも淡白な性格で、恋人や友人に依存するようなことはない。その上、両親は既に他界している。数名の友人も『類は友を呼ぶ』といった感じで、よほどの用事がない限り連絡を寄越さない。潤にとってはその距離感が楽ではあるのだ。 ただ、こんな生活がいつまで続くのか、と若干うんざりしていた。結婚して家族を持てば生活は変わるのだろうが、潤はゲイなので初めから望んでいない。   金曜の夜。残業もそこそこに、潤は行きつけのゲイバーへと足を運んだ。新しい出会いを求めてなどいないのだが、潤はこのバーの雰囲気が好きでよくフラッと立ち寄るのだ。今晩は雨が降っていて、若干客が少ない。たまに扉が開くと雨の音が聞こえて結構な雨量だと気づいた。 (今日はのんびりしていて良いな) そう思いながら手元のモヒートを飲む。今日は蒸すのでミントとライムが入っているこのモヒートが喉の渇きを潤してくれていた。潤がここに来るときはいつも会社帰りなのでスーツ姿。細い黒縁の眼鏡に黒々した短髪は人によっては少し硬めの印象を持たれるかもしれない。しかしここでは割と声をかけられることが多い。少し細身ではあるが身長が高く、顔がそこそこ整っているためだろう。潤も男なので性欲を満たしたい時がある。そのため以前は誘いをあまり断ることはなかったのだが、最近はそんな性欲すら無くなってしまい、声をかけられると断ったりすることもある。 ゆっくり潤が一時間くらい飲んでいるところへ、隣の席に一人の男が腰掛けてきた。 「隣いい?」 「……いいも何も、もう座ってるだろ」 「あはは、ごめんね」 隣に座った銀髪の彼は人懐っこく笑顔を見せる。その姿はかなり目立つ。ハーフアップにした髪を耳にかけながら、手にしたカクテルをグイと飲んでいた。 「お兄さん、一人?何だか、つまんなさそうだねえ」 潤を見るなり、彼がそう言ってきてニヤニヤと笑いながらさらに続ける。 「よかったら、僕が楽しませてあげようか?」 (ああ、面倒臭いな) 今日もまた、こうして声をかけられるとは。客が少ないから今日は大丈夫だと思っていたのに、と潤は内心、舌打ちをする。だが、ふと見た彼の風貌はなかなか自分の好みだった。最近セックスをしたのはいつだっただろうか。 (まあ、いいか) 一夜の相手には上出来だ。彼のグラスに、自分のグラスを当ててカチンと鳴らす。その仕草に彼はさらに笑う。 「僕はテンセイていうんだ。名前なんて言うの?」 「潤だ。テンセイって珍しい名前だな……じゃあ楽しませてくれ」 そう潤が言うと彼は『任せておいて』と小さな声で呟いた。その声がやけに、いい声で印象に残った。潤はまたモヒートを口にして彼を見た。 そして、そこからの記憶はすっぽりと消えてしまったのだ。 *** 潤はふととある香りを感じて、目を覚ます。 (どうして磯の香りがするんだ?) しかも何だか頰がチクチクと痛む。目を凝らすと目の前に砂浜が広がっているた。磯の香りは砂浜の先に広がる海の香りで、頰に付いていたのは砂浜の砂。 寝転んでいた体を起こすと、紺色のスーツが砂まみれになっていたが何故か奇跡的に眼鏡は無事だった。砂を払いながら、立ち上がると目の前に広がる景色は、青色の空に、日光に輝く海。そして真っ白い砂浜だけだ。
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