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9.
窓の外から朝日が入り込んで潤の顔を照らす。そろそろ起きて朝食の準備をせねばならない。アピチェを起こしてやらなければ、と潤は立ち上がった。
その日はアピチェが珍しく昼過ぎに帰宅した。たまに昼で任務が終わる日があるらしく、着替えたアピチェは大きな背伸びをして潤に話しかける。
「今日はどうしようかなー。森に行ってウッドペッカーのケーキを食べに行く?それとも湖で釣り?」
いつもの屈託のない笑顔に、胸がちくりと痛む。飲み物を出しながら潤は思いきって話を切り出した。
「そう言えば、イラーレっていう騎士に偶然会ったよ」
そう言うと、アピチェは少し驚いたように顔を見た。
「小さい頃から知ってるんだってな。俺、果物落としたんだけどわざわざ馬から降りて拾ってくれたんだ」
「イラーレは優しいからね」
何気ない言葉に潤は胸がズキっとした。そしてアピチェの顔を見ながら、口を開いた。
(多分これをいったら、アピチェは怒るだろうな)
そう思いながらも、もう聞かずにはいられない。一緒にいられる時間はあと少しで、その間にケリをつけたい。自分の気持ちにも。イラーレに対する嫉妬心が何故なのか、分からない年齢ではなかった。アピチェの瞳を見ていると惹き込まれそうになるのも、笑顔をずっと見ていたいと思うのも、何故なのか。それは潤もまたアピチェに惹かれているからだ。
だからこそ、確認して突き放すしかない。自分はいなくなるのだから。
「イラーレと俺は似てるんだな。商店街の店員にも言われたよ」
「うん!そっくり」
テーブルの上に置かれたアピチェの手に自分の手を置き、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「なあ、アピチェ。お前が好きなのは……ほんとに俺なのかな?」
「え……?」
「前、門番してるときにお前とイラーレが話してるのたまたま見かけたんだ。その時の表情が、本当に嬉しそうでさ。昨日、イラーレの顔を近くで見て気がついたんだ。……お前の心の中にはイラーレがいるんだよ。俺は似てただけだから、お前は勘違いしてるんだ。見ず知らずの男を好きになったりしないだろ」
アピチェに反論させる暇を与えずに、潤は自論を語る。重ねたアピチェの手が震えていた。
「優しいイラーレを俺に重ねてるだけじゃないのか?」
そこまで言うと、アピチェは手を振り解き、その手で思い切り潤の頬を平手打ちした。
「潤のバカ!」
大声で叫んでアピチェは部屋を飛び出していく。潤は痛む頬をさすりながらため息をついた。きっとアピチェはまた自室にこもって、口をきかなくなる。そしてその間にテンセイが迎えに来てしまうだろう。わざと傷つけて、いなくなるなんて最低だなと潤は自嘲しながら笑う。
窓の外はグレーの雲がじわじわと広がってきて、あたりを暗くしていった。
案の定、アピチェは全く口を聞かなくなった。どころか同じ家にいながら姿を見せない。ご飯だと呼んでも出てこない。当たり前か、とため息をつきつつも食事を置いていたら、潤がいない隙に食べて綺麗に平らげていた。それでもちゃんと食べてくれるアピチェが可愛くて胸が痛む。
平手打ちをくらった翌日。明日の晩にはテンセイが迎えにきてしまう。昨日から降り始めた雨は潤の心の中のようだ。今日はアピチェが休みの日。いつもなら一緒に過ごすのだが……ぼんやりと窓の外を見ながら潤はじわじわと先日アピチェを傷つけてしまった自分の言葉を反芻する。
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