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「……彩?泣いているのかい?」
私はお母さんと紫信さんの人生をめちゃくちゃにしていた。
知らなかったからでは済まされない。
「私……どうしたらいいですか」
「どういう意味かな」
「もう紫信さんのところへは戻れません」
「戻らなくていい」
「どこか遠くへ行かなくちゃ……」
「行かなくていい。ここに居なさい」
「貴方の世話になる訳には行きません」
実の父親だとしても、面倒を見て貰おうとは思わなかった。
「私は彩に居て欲しいんだよ。欲しいものは何でも与えるから」
……欲しいもの?
私が欲しいものって……なに?
私はただ……家族で仲良く暮らしたかった。
それ以上は望んでないのに。
それすら叶わない。
平凡な日常。それが何より幸せなんだって思った。
◆
翌朝。彼は仕事があるからと帰ってしまった。
広い建物に独り。
リビングの大きな窓から、ジオラマのような街を眺める。
これからどうしよう。
ここに居れば何不自由無く幸せに暮らせるとは思う。
実の父親だしお金持ちそう。
でも初めて会った人だし甘えるのは嫌だ。
知らない街で暮らせば、きっと紫信さんを思い出すことも無くなる。
大丈夫。私は意外と図太いから。
あとは大きな問題をどうするか。
紫信さんは私で充電しないと動けなくなってしまう。
でも彼はお母さんと離れても普通に暮らしてる。
何か手はあるはずだ。
それが子供を産むことだったらどうしよう。
番って言うくらいだから繁殖が目的なのだと思う。
ちょっと触られただけで恥ずかしくて消えたくなるのに。
紫信さんと……子供を作るなんて。
でも。それで紫信さんを自由にしてあげられるなら。
私は……。
「……痩せなきゃ」
どうせなら綺麗な身体を見て欲しい。
紫信さんは抱き心地がいいって褒めてくれたけど。
何だか身体が熱い。
熱でもあるのかな。
紫信さんに会いたい。
抱き締めて欲しい。
「紫信さん……」
◆
いつの間にかソファで寝てしまっていた。
キッチンの方から物音がする。
そしていい匂いがした。
シチューかな。
彼が帰っていたことに気づかなかった。
もう午後五時。
私は慌てて起き上がる。
「あの、すみません。寝ちゃってて……」
広々したキッチン。
そこに居たのは小柄な女性だった。
家政婦さんかと思った。
でも、違った。
「よく寝てたね、彩」
振り向いた顔。可愛らしい声。
「……お母さん?」
記憶の中にあるお母さんと重なる。
これは夢?
そうだ。私はまだソファで寝てるんだ。
お母さんが居るはずない。
ここはお母さんが嫌っている彼の別荘なんだから。
「彩、小さい頃シチュー大好きだったよね」
「……うん」
「苦手なニンジンもシチューなら食べてくれた」
「うん。そうだった」
「今もニンジンが苦手?」
「……ちょっと苦手」
お母さんが明るく笑う。
ずっと探し求めていた日常。
私は後ろから抱きついた。
子供の頃は大きく見えたお母さん。
今は同じくらいの身長だった。
「どうしたの、彩」
「……ごめんなさい」
「なんで謝るの?」
「私……紫信さんのこと好きになった」
「知ってる」
「……怒らないの?」
お母さんがIHのスイッチを切る。
そして私の方へ向き直った。
「しのぶくんは私が選んだ彩の番。お互い好きになるように出来てる」
「……そうなの?でも、それって本当に好きって言える?」
「本当の好き、って何だろうね」
「それは……自然に惹かれること?」
「そうかもしれない。もし私がしのぶくんを選ばなくて。彩が彼と自然に出会ったら?好きにならなかった?」
「……そんなの分からないよ」
「しのぶくんの顔とか身体とか声とか。ステキよね」
思い出しただけで頬が熱くなる。
確かに全部いい。
「たぶんね。私たちは娘に必要な男性を本能的に選んでるの」
「必要な……?」
「それが遺伝子なのか精神的なものなのかはわからないけどね。彩にはしのぶくんが適合したの」
「……そっか」
「しのぶくんが不満なら私が貰うけど」
「っそれはダメ!」
思わず声を荒らげてしまった。
冗談に決まってるのに。
「しのぶくんもステキだけど、私には蒼さんが居るから」
「……あおいさん?」
「一色蒼。私の番」
蒼さんって名前なんだ、彼。
「お母さん、彼のこと嫌いじゃないの?」
「んー。嫌いでは、ない」
「じゃあ好きなの?」
「好きでもない。なんて言うのかな。同士というか戦友?みたいな感じ」
「そうなんだ」
「顔は好きよ」
……私のイケメン好きは遺伝か。
「お母さん」
「なぁに」
「うちに帰って来て。一緒に暮らそう?」
「……怒ってないの?」
「寂しかったし悲しかったよ?でも恨んでない。またお母さんと暮らせたらって。ずっと思ってた」
「お邪魔じゃない?」
「邪魔なわけない」
「ありがとう、彩。でもムリかな」
「どうして」
お母さんが俯く。
帰れない理由があるなら知りたかった。
「彩のこと好きだから」
「好きなら一緒に暮らそう?」
「傷つけたくないの。彩のこと」
どういう意味なんだろう。
私はお母さんに傷つけられたことなんて無いのに。
「私は大丈夫だから。帰って来て」
「彩はいい子に育ったね。お母さん嬉しい」
照れくさかった。
「そうね。じゃあ」
「戻って来てくれる?」
「彩」
「なに?」
お母さんの両手が私の頬を包む。
「お母さんの為に死ねる?」
「え……?」
冗談……だよね?
「お母さんね。欲しいものがあるの」
「……なに?欲しいものって」
「それは彩の命と引き換えにしか手に入らなくて」
「……ちょっと待って。なに言ってるの?」
「それが手に入れば帰れるの」
お母さんは別人のように暗い目をしていた。
……本気だ。
お母さんは私を殺そうとしてる。
夢だよね?嫌な夢だ。
外で車の音がした。
彼が帰って来たんだ。
私は慌てて玄関に向かいドアを開ける。
そして彼に助けを求めた。
「あの、お母さんが!お母さんが戻ってきたんですけど、様子がおかしくて」
「あぁ。知っているよ」
「どうしたらいいですか!?」
「彩。すまない」
……何で謝るの?
彼が私の耳元で囁く。
「七瀬の為に死んで欲しい」
お母さんが背後から私を抱き締めた。
「いい子ね、彩。大好き」
……紫信さん。
ごめんなさい。
私、帰れそうにない。
【 続 】
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