01 アイノイロ (side AYA)

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01 アイノイロ (side AYA)

 その人は。  幼い私を置いて姿を消した。  覚えているのは無数に並べられた小さなインクの瓶。  万年筆を滑らせ手紙を書く穏やかな横顔。  息を呑む程に美しい人だった。 【アイノイロ】 「……(あや)。彩!」  乱暴に名前を呼ばれ我に返る。  目の前のガスコンロに置かれたヤカンのお湯が沸騰して、口から溢れてた。 「あ……すみません!」  慌てる私の背後から伸びた長い腕が火を止める。  至近距離で聞こえる溜息。  ……やってしまった。 「何度目だ」 「……八回目です」 「回数は覚えているんだな。全く学習しない割には」  言葉の棘が突き刺さる。  私が悪いから仕方ないけど。  もっと優しく言って欲しい。  母が失踪して行き場の無かった私を迎えに来てくれたのが彼。  お母さんは、いつの間にか彼……紫信(しのぶ)さんと再婚してた。  紫信さんは血の繋がらない私を十年間きちんと育ててくれた。  それは感謝してる。  紫信さんは顔がいい。  お母さんが惚れたのも理解できた。  でも物凄く無愛想で笑顔を見た記憶が無い。  私に対する彼の感情の色は濃い青。  無関心の黒に近い。  人の気持ちが色として見えてしまう自分を呪った。 ◆  郊外に建つ小さなビル。  一階にはカフェ。  二階は文具店。  三階と四階は住居スペース。  屋上には家庭菜園。  植物とか育てなさそうな、ワイルドなイメージの紫信さんなのに、きちんと手入れするから美味しい野菜が次々できる。  料理も上手い。だからカフェは繁盛してる。  文具店は何故か私が任されているけど。  カフェのお客さんが時々流れて来るくらいで退屈だ。  店の扉が開く音がしたから背筋を伸ばして接客モードに入ったのに。 「こんにちはー。彩ちゃん。相変わらずヒマそうだね」 「……なんだ。真城(ましろ)さんか」  薄い水色の夏の制服。郵便局の集配担当の真城さん。  一階のお店は別名・手紙カフェ。  オシャレな便箋や筆記用具が揃っていて、お客さんは自由に選んで使える  店内にはレトロな四角いポスト。  集配はカフェ店内で済むのに、彼は何故か毎日文具店にも顔を出してはモテ自慢をして行く。  真城さんは子犬系イケメンだからモテるだろうけど。  性格の悪さを知っている私としては全く魅力的に思えない。 「でさー。聞いてよ彩ちゃん」 「はいはい聞いてますよ」 「最近、駅前のポストに気味の悪い手紙が入ってんの」 「気味の悪い……手紙?」 「そ。黒い封筒に真っ赤な文字で(のろい)、って書いてあんの」 「呪……」 「気持ち悪くてさー」  ……何だろう。  真城さんの足下に黒い影が見えた。  すぐに消えてしまったけど。 「どした?」 「……え?」 「顔色悪いけど」 「……そうですか?」  言えば怖がられるよね。  見間違いかもしれないし。 「じゃ、帰るわー。またね」 「あの!」  思わず呼び止めてしまったけど。  ストレートには言えないから。 「……お気をつけて」 「なに。いつもそんなこと言わないじゃん」 「そうでしたっけ?」  真城さんは苦笑いする私の目の前に立つ。  そして端正な顔に意地悪な笑みを浮かべた。 「遂に惚れた?」 「それは無いです」  真顔で言ったら真城さんは残念そうにしてるけど。  彼の感情の色は黄色。  私のこと女として見てない。 ◆  夕暮れ時。店を閉めて階段を上がる。  良く手入れされた観葉植物が並ぶ玄関。 「ただいま」  鉢植えに話し掛けると微かに反応があった。  シカトする紫信さんより優しい子たちだ。  テレビは見ない。  出演者の感情が丸分かりで疲れるから。  部屋干しの洗濯物を畳む。  二人分だからそれ程、多くは無い。  紫信さんの下着に触るのも慣れた。  一応、私の父親だし。  でも、お父さんと呼んだことは一度も無い。  呼んだらどんな反応をするだろうか。 「彩」  突然、背後から呼ばれて声を上げそうになる。  紫信さんはいつもそうだ。  気配が無い。身体は大きいのに。 「何か悩み事があるんじゃないのか」 「え……?」  想定外の言葉だった。  悩んでる自覚は全く無い。 「……違うならいい」  心配、してくれてる?紫信さんが私の?  無関心な色のままで。  急に父親らしいことがしたくなったのかもしれない。  なら嘘でも相談した方がいいのかな。 「あ……えっと……真城さんが」 「あいつに何かされたのか」 「違います!駅前のポストに変な手紙が入ってるって言ってて。何か、怖いなと……思いました」 「変な手紙?」 「黒い封筒に呪って文字だけ書かれているそうです」  紫信さん、私が思ってた以上に深刻な顔をしてる。  悪いことをしてしまった。 「でも、私には関係ない話なので。大丈夫です」 「……だといいが」  何、その返し。  不安になるんですけど。  言われてみれば、大きな悩みごとがあった。  私も十八歳になったし。  そろそろ家を出た方がいいかもしれない。  紫信さんはまだ四十代。  再婚だって出来るだろう。  私が居たら彼女も作れないよね。  紫信さんの人生を、これ以上奪いたくなかった。 ◆  それから私の部屋探しと仕事探しが始まった。  仕事中もスマホで情報を仕入れる。  なかなか良い条件の物件も仕事も見つからない。  世の中そんなに甘くないか。  でも紫信さんを自由にする為に頑張ろう。  閉店間際。店の扉が開く。  入って来たのは私と同い年くらいの女の子だった。  長い黒髪が印象的。  その黒髪と同じくらい、重く暗い色を(まと)ってる。  逃げ出したかった。  呼吸が出来ない。  こんなに威圧感のある色は初めてだ。  ……怖い。 「あの」  彼女に声をかけられ必死に平静を装う。 「……いらっしゃいませ。何かお探しですか?」 「封筒は……」 「封筒でしたら……その壁沿いの棚に」 「そこにあるだけですか?」 「はい……」  早く帰って欲しかった。  お客さんに対して失礼だけど。 「彩ちゃん、居るー?」  重苦しい空気をかき消してくれたのは真城さんだった。  初めて彼の存在に感謝した。 「ねー、聞いてよ。……って、大丈夫?顔、真っ青」 「……大丈夫です。何ともありません」 「具合悪そうじゃん」 「本当に。大丈夫です」  全く大丈夫じゃないんだけど。  酷い目眩(めまい)がして立っているのがやっとだった。  意識が遠くなる。  倒れそうになる私を真城さんが抱きとめてくれたのが分かった。  久々に感じる人の温もり。  ずっと、こうしていたい……。 「……何で」  それは黒髪の彼女の声だった。 「何で私じゃないの?」  次の瞬間、私は床に倒されて首を絞められてた。  霞む視界に見えたのは憎しみに歪む彼女の顔。  レジカウンターの前には真城さんが転がってる。  ……何。何が起きてるの? 「お前さえ居なければ……彼は私を見てくれるのに!」  何の話?彼って誰? 「死ね……死ねよ!」  女性のものとは思えない力で、彼女は私の首を絞め上げた。  そうか……私は居ない方がいいんだ。  彼女にとっても、きっと紫信さんにとっても、私は邪魔者でしかない。  そう思ったら(あらが)う必要も無くなった。  ……もう、いいや。 「彩!」  乱暴に呼ぶ声。身体が軽くなって酸素が戻る。  咳き込みながら見た先で、紫信さんが暴れる彼女を床に押さえ付けてた。 「娘に近寄るな!失せろ!」  ……娘?私のこと? 「……ックソ!真城、手伝え!」 「わかってますよ!」  紫信さんの代わりに今度は真城さんが彼女を拘束(こうそく)する。  私の横に座った紫信さんは悲しそうな顔をしてた。  え……私まだ死んでないよね? 「……彩。見えるのか」 「……何がですか?」 「感情の色が」  ……何で。紫信さんには話したこと無いのに。 「見えるんだな」 「……はい」  紫信さんは目を(つむ)って唇を噛んだ。  とても悔しそうな表情だった。 「彩。起きられるか」 「……無理です」  身体に力が入らない。  すると紫信さんが私を抱き起こした。  こんなに密着したのは初めてで。  どうしていいか分からない。 「っ早くどーにかしてくださいよ!(くろがね)さん!」  真城さんの姿が見えないくらい、濃い色が店内に充満してた。  ……何これ。気持ち悪い。 「彩。これを」  紫信さんが私の手に握らせたのは小さな瓶。  見覚えがある。  お母さんの部屋にたくさん並んでいたインクの瓶だ。  でも中身は空っぽ。 「ここに封じ込めるんだ。この感情の色を」 「……紫信さんが何を言ってるか分かりません」 「分からなくてもやれ!死にたいのか!?」  何で怒られてるの私。 「(ふた)を開け」  これ以上、紫信さんを怒らせるの嫌だから渋々従う。 「そして念じろ」 「……何を?」 「とにかく念じろ!」  昭和生まれの根性論!?  今どき流行らないですけど!  よく分からないけど目を閉じてみる。  ……これでいいのか分からない。  音が遠くなる。  空気の流れが止まった。  ……誰かが私の手を取った。  不思議と怖くなかった。  耳元で囁く声。  この声は……。 「……お母さん」  母の言葉は祝詞(のりと)のようだった。  私は無意識に後を追う。  手の中の瓶が熱を帯びる。  ……大丈夫。きっと出来る。  目を開いて瓶を高く掲げた。  室内に充満していた重い色が渦を巻き始める。  それはやがて瓶の小さな口に吸い込まれて行った。  全て入ったのを確認してから静かに蓋を閉める。  店内に明るさが戻っていた。  私は大きく深呼吸する。 「あの……出来ました……たぶん」  恐る恐る紫信さんを見る。  彼は無言で私を抱き締めた。  え……もしかして紫信さん泣いてる?  感情の色は青いままだけど。  この人、感情の色のバリエーション無いのかな。  女性の悲鳴が聞こえた。  見たら黒髪の彼女が取り乱してる。  ……まだ憑き物が取れてないの?  と思ったら、真城さんに押し倒されていたことに動揺してただけだった。  まあ真城さん、顔はイケメンだから。  倒れた棚を紫信さんと真城さんが戻してくれている間、彼女と話した。  本当の彼女はとても礼儀正しくて控え目で。  優しい薄紫色を纏ってた。  彼女は偶然見かけた真城さんに片思いをしてて。  でも勇気が無くて想いを伝えられなかった。  そうしている間にどんどん負の感情が大きくなって。  気づいたら駅前のポストに呪いの手紙を投函してた。  彼女は私に謝り続けてた。  殺されかけたけど、憎めなかった。 ◆  私と紫信さん、真城さんと彼女は閉店後のカフェに居る。  テーブルには私が彼女の感情の色を閉じ込めた瓶が置かれていた。
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