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「七瀬も語りたがらなかったからね。詳しくは知らないよ。それに七瀬は、私にとって最低な男でも彩の父親だからって。悪くは言わなかった」
「七瀬さんらしいですね」
「だろ?七瀬も本心では嫌ってなかったのかもしれないね」
「強姦された相手を?」
「男女の間なんてそんなもんだろ」
そういうものなのか。分からない。
「心底憎んでる男の子供なら産んでない。彩が存在してるのが証拠さ」
「……なるほど」
「七瀬は彩を愛してる。アンタを彩の番に選んだのが証拠だよ」
「俺が?」
「よくまあこんな愚直な男を拾ったもんだよ。彩の父親としても完璧だったし。婿としても申し分無い」
褒められているのだろうか。
「アンタはどうなんだい」
「俺は七瀬さんも彩も大切に」
「本心を聞いてるんだ」
「……本心です」
「アンタと彩を捨てた七瀬のこと、恨んでるだろ」
恨んでいないと言えば嘘になる。
俺はどうとして、彩を捨てたことは納得していない。
「それだけの事情があるんだと思っています」
「優等生だねぇ。つまらない男」
「彩が一番、辛いですから」
幼かった彩は母親に捨てられたと絶望したはずだ。
俺では埋めることの出来ない心の欠落感。
「七瀬さんが戻ってくれたら一番なんですけどね」
「そりゃそうだ」
「戻れない理由、って何なんでしょう」
「さぁねぇ」
電話の七瀬は以前と変わらなかった。
此処に居られなかった理由。
それが知りたい。
ダイニングテーブルに置いておいた俺のスマホが鳴る。
真城からだった。
「真城。大丈夫か」
『潜入は成功したんすけど』
「けど?」
『何か全てお見通しだったらしくて』
「……捕まったのか?」
『いえ。帰されました』
「どういうことだ。彩の手掛かりは?」
『奴には彩ちゃんが必要らしいっす』
つまり。彩は奴の傍に居る。
「彩の居場所は」
『それが……よく分かんないんすけどー』
「何が分からない」
『ちょうど良かった。鐡さんに招待状を出すところだったんだ。って』
「招待状……?」
『お待ちかねみたいです』
何が目的だ。罠か?
いや。罠でもいい。
何がなんでも彩を取り返しに行く。
父親でも容赦しない。
少しして帰宅した真城の手には綺麗な青色の封筒。
開封して中のカードを取り出す。
そこには住所と日時だけ、無機質な文字で記されていた。
地名は他県の有名な避暑地。
シーズンオフで人が居ない。
後ろめたい奴には都合がいい。
「鐡さん一人で来るように、って」
「明らかに罠だね」
「僕も一緒に行きます」
「いや……。俺一人でいい」
「どうやって行くんすか。こんな山の中」
「車で行くに決まってる」
「途中で身体が動かなくなったら?事故りますよね」
真城の正論に返す言葉が無かった。
「近くまで送ります」
「……頼む」
「私は留守番かねぇ。何かあったら連絡するよ」
「お願いします。紅林さん」
俺と真城は身支度を整える。
ビルの脇。狭い駐車場に停められた青いコンパクトカー。
俺と彩が共用している愛車だ。
真城は運転席に乗り込むと、シートの位置やミラーの角度を調節する。
真城は仕事で毎日運転しているから慣れているし上手い。助手席でも安心だった。
彩の運転は正直言って怖い。
出発したのは午後四時。
目的地までは高速を使えば二時間半。
指定された夜八時には十分間に合う。
高速道路を走る車内はFMラジオが小さく流れている。
会話は無い。
普段は一人で勝手に喋っている真城が黙っていることに居心地の悪さを感じた。
喋るのも黙るのも、奴なりの気遣いだろう。
一見するとチャラい男だが人間が出来ていると言うか。
頼りになる男だと思った。
トンネルが増えて来た。
県境の表示が車窓を流れて行く。
カーナビが次のインターで降りろと指示した。
目的地は近い。
「鐡さん」
車に乗ってから初めて真城が口を開く。
「何だ」
「帰って来てください。彩ちゃん連れて」
「……そのつもりだ」
「絶対ですよ」
運転する真城の横顔に視線を向ける。
大きな目が微かに潤んでいるように見えた。
「……泣くな」
「泣いてませんよ」
「これから俺が死ぬみたいだろ。縁起でもない」
「だから泣いてませんって」
「俺は死なない」
「……分かってます」
本当のところ生きて帰れる自信は無かった。
高速を降りた車はどんどん山奥へと向かっている。
こんなところで殺されて埋められたら誰にも見つけて貰えないだろう。
「真城」
少し道幅が広くなった場所で車を降りてから、俺は真城に言う。
「日付が変わっても俺から連絡が無ければ、お前は帰れ。帰って全て忘れろ」
「え……」
「ありがとう。お前に出会えて良かった」
真城は何か言おうとした。
だけど俺はドアを閉めた。
どんどん身体が重くなっている。
「あと少し……頑張ってくれ」
スマホの地図を頼りに夕暮れの山道を一人で歩く。
この先で彩が待っている。
彩を取り返すことが出来るだろうか。
「……やるしかない」
勝算は無い。
負け試合になるかもしれない。
それでも俺は戦う。
彩との平和な生活を取り戻す為に。
視界が開けた。
遠くに街が見える。
スマホのナビが目的地への到着を告げた。
目の前にはシンプルでモダンなデザインの建物。
「……ここか」
駐車場には黒い高級車が停まっていた。
奴の車だろう。
これで彩を連れ去った。
まだ少し早かったが、俺はインターホンを押す。
応答は無い。が、ドアの鍵が開く音がした。
意を決して開いたドア。
俺を出迎えたのは、笑顔の七瀬だった。
【 続 】
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