08 カゾクダンラン (side AYA)

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08 カゾクダンラン (side AYA)

 聞いたことの無いエンジン音。  ()いだことの無い香水の匂い。  自分が乗用車の後部座席に座らされていると気づいた。  乗り込んだ覚えは無い。  全身から冷や汗が吹き出した。  知らぬ間にどこかへ連れて行かれている。  暗い車内。  薄目で見たバックミラーの中には見知らぬ男性。  紫信(しのぶ)さんより歳上で紳士的な風貌(ふうぼう)だった。  横に置かれていた自分の鞄を探る。  スマホは取り上げられていない。  音の出ないカメラアプリを開いて車内の写真を撮る。  そしてすぐに紫信さん宛に送った。 「お目覚めかな」  ……気づかれた。  でも車は高速道路を走行中だ。  すぐにどうこうされることは無いだろうけど。 「気分はどうだい?」 「……最悪です」 「それはいけない。吐きそうなら足元に袋があるから、そこへ」 「あなた誰ですか」  言ってから気づいた。  この人、色が見えない。  お母さんが言っていた色の無い男だ。  恐怖で身体が震えた。  彼は怯える私に向かって鏡越しに微笑んで見せる。 「私は一色(いっしき)。警視庁に勤務している」 「警視庁……」  警察官か。  だから警察署で私を拉致(らち)出来た。 「私に何の用ですか」 「会いたかった」 「は……?」 「君に会いたかった。でも君の傍には常に紫信くんが居るからね。二人きりになるには、こうするしか無かったんだよ」 「答えになってません」  何で二人きりで会いたかったのか、そこを聞いている。  鏡越しに(にら)みつける私を見て彼は困った様子だった。 「何か気に障ることを言ったかな」 「この状況からして気に障ってます」 「……そうだよね。すまないことをした」  悪い人なのか善い人なのか分からない。  色が見えないから判断できない。 「信じて貰えないかもしれないけど。ただ可愛い娘に会いたかった。それだけなんだよ」  ……なに言ってるの?  私のお父さんは死んだ。 「本当に七瀬(ななせ)から何も聞かされていないんだね」  お母さんのことも知ってる。  思い出した。私、お母さんの色も見えてなかった。  たぶん近い血縁者の色は見えないんだ。  だからこの人が私の本当の父親なんだろう。  ……紫信さん心配してるよね。  警察署で紫信さんと別れた後、私は受付の奥の方にある休憩室のようなところへ案内された。  女性警察官が温かいお茶を出してくれたから飲んだ。  その後の記憶が無い。  あのお茶に睡眠薬か何かがが入っていたのだと思う。  迂闊(うかつ)だった。  車窓から見える看板の地名は他県のものだ。  地理に弱いから自信は無い。  怖い。けど。  私が先頭に立って立ち向かうと決意したことを思い出す。 「……大丈夫。負けない」  車が高速道路を降りた。  しばらく街中を走行して、少しずつ郊外へ。  そのうち山道を上り始めた。  真夜中ですれ違う車も無い。  どんどん人里を離れて行く。  坂道を登りきったところで車が止まった。  すぐにシートベルトを外し車外に出ようとする。  が、ドアは開かなかった。 「(あや)。ちょっと待っていなさい」  彼が運転席から降りて外から後部座席のドアを開ける。  そして手を差し出した。  駐車場のセンサーライトが浮かび上がらせた彼の顔。  整った顔立ち。穏やかな笑顔のおじさんだった。  でも見た目じゃ分からない。  心を許しちゃダメ。 「……大丈夫です。一人で歩けます」  立ち上がったら頭がクラクラした。  よろける私を彼の手が支える。  触られたくなくて思わず払い除けた。  彼は驚いた様子を見せた後、悲しそうな顔をする。 「……ごめんなさい」 「いや……気にしなくていいよ。嫌われても仕方ない」  心がチクリと痛む。  これじゃ私が酷い娘みたいだ。  逃げ出しても山の中。  道に迷って熊に襲われそうだ。  私は仕方なく彼の後をついて行く。  開かれた玄関ドアの向こうには広々とした空間が広がっていた。  テレビでしか見たことの無い、お金持ちの家みたいだと思った。  センスのいいインテリアのリビング。  ソファに私を座らせた彼はコップにウォーターサーバーの水を注いで私に渡す。 「飲んで」  疑いの目を向ける私にも怒らず彼は笑った。 「大丈夫。何も入ってないから。たくさん飲んで薬を排出した方がいい」  あなたが飲ませたんでしょうが。  心の中で毒づきながら飲み干す。  そんな私の様子を彼はニコニコしながら見ていた。 「……何ですか」 「彩はしっかりしているね。紫信くんの教育が良かったのかな」  紫信さんが褒められたのは嬉しかった。  確かに紫信さん、私に対して結構厳しかった。  本当の親子じゃないから余計に厳しくしたんだと思う。  子供の頃は分からなくて泣いてばかりいたけど、今思うと私が外で恥ずかしい思いをしないように(しつけ)てくれてた。  それが紫信さんの愛情だった。  だから感謝してる。 「私なら彩をただ甘やかしていただろうから。七瀬の判断は正しかったね」 「お母さんの……判断?」 「私を彩の父親にしなかったこと。裕福な男性に助けを求め生活の基盤を作ったこと。そして紫信くんを君の(つがい)にしたこと」 「……つがい?」  番、って夫婦のことだよね。  私と紫信さんが夫婦?  親子の間違いでしょ。 「君たち一族の女性は娘の番となる男性を捕らえ、生殖(せいしょく)機能を奪い娘を託す。娘は番に育てられ、大人になると番と交わり娘を産む」  ……どういうこと?  紫信さんは私の為にお母さんが捕まえた? 「私は七瀬の母親に捕らえられ男性としての機能を失ってね。幼い七瀬を託された」 「……ちょっと待ってください。紫信さんの身体が……あれなのって、もしかしてお母さんの仕業なんですか」 「そうだよ。七瀬が君を育てさせる為に奪った」 「そんな……」  私とお母さんが、紫信さんの人生を奪い()じ曲げてしまったんだ。  ……どうしよう。謝って許されることじゃない。 「私も最初は絶望したよ。まだ若かったからね。七瀬と彼女の母親を恨んだ」 「……当然です。酷すぎる」 「でも無邪気な七瀬と暮らすうちに恨みも消えた。成長した七瀬を心から愛した。そして彩。君を授かった」  紫信さんの本心は。  私たちに出会わなければきっと、平和で幸せな日々があった。  紫信さんは幸せだと言ってくれたけど。  本当のことを知ったらきっと絶望する。  私のこと愛してくれてるのも、お母さんが決めた番だから。  紫信さんの意志じゃない。 「……あの。その、番と別れる方法って無いんですか」 「私は聞いたことが無いけど。彩は紫信くんと別れたいのかい?」 「……はい」 「紫信くんのことが嫌いなのかな」 「嫌いと言うか……」  彼は悲しそうな目をした。 「そうか。七瀬も私を嫌っていたよ」 「え……」  お母さんが彼を嫌ってた?  じゃあ何で私が生まれたの? 「七瀬は大人になっても私を受け入れようとしなくてね」  まさか……お母さんは無理矢理? 「後悔しているよ。七瀬を深く傷つけてしまった」  そんな……。  私はお母さんにとって本当に要らない子だったんだ。
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