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「最近の七瀬は我慢が出来なくなっていて。こっそり抜け出しては街を彷徨うようになった」
それでも満足できない七瀬は、蒼さんに俺の絶望の色が欲しいと言い始めた。
蒼さんも必死に言い聞かせて止めたらしい。
「そのうち七瀬は自分で紫信くんの色を狩りに行くと言い出してね。だから私が安全に与えることにしたんだよ」
なるほど。それで彩を攫い俺を呼び出したのか。
「人が最も絶望するのは愛する人を失った時。それも目の前で為す術なく」
「だから俺の目の前で彩を殺したように見せかけた、と」
あの血液は輸血用のパックを仕込んで垂らしていたと彼はタネ明かしする。
七瀬には気づかれないように蒼さんが用意した。
そして俺は彩の死んだフリにすっかり騙された。
「君には悪いことをしたと思っているよ。彩にも七瀬を救う為だからと無理強いをしてしまったし」
「……仕方ないですよ。他に七瀬さんを救う方法が無かったんでしょう?」
「あぁ。正直、一か八かの賭けだったけどね。君の絶望を食らって七瀬の暴走が止まるのか。そして彩が七瀬の欲望を封じ込められるのか」
「……賭け」
「いやぁ、上手く行って良かったよ」
意外と軽いな。この人。
「私は七瀬が可愛くてね。ついつい甘やかして育ててしまった。今でも彼女が欲しがるものは全て与えたいと思ってしまう」
「……もしかして。彩も七瀬さんが欲しがったとか?」
「本当はね。でも信じられないことに七瀬は子供の作り方を知らなかったんだよ」
嘘だろ。彩を産んだ時、七瀬はもう三十近かった筈だ。
……いや待て。
蒼さん、まだそんなに高齢じゃないよな。
彼が七瀬を育てたんだから、もしかして……。
「……俺より歳下か七瀬さん」
出会った時、本当に二十歳そこそこだったんだろう。
すっかり騙された。
婚姻届もそこまでしっかり見なかったからな。
「作り方を教えなかった私も悪かったんだけどね。七瀬も十六歳になっていたし、子供を欲しがるから私は応えた。でも七瀬は私に無理矢理、酷いことをされたと思ってしまってね。居なくなってしまったんだ」
たった一度の交わりで七瀬は妊娠した。
どうしていいか分からず困っていた七瀬を町医者の男性が見つけ面倒を見てくれた。
七瀬は懸命に彩の母親になろうとしたんだ。
彼女の苦労を知ろうともしなかった。
「そんな生活の中で七瀬の心は蝕まれた。君に彩を託して安心したんだろうね。症状はどんどん酷くなって。最近では私にも噛み付く有様だった」
「……そんなにですか」
「七瀬を救えるのは君と彩しか居なかった。七瀬を助けてくれてありがとう」
「……いえ。俺は何も」
「彩の番が君で良かった。安心して任せられるよ」
「俺は蒼さんみたいにきちんとしてませんし。金も無いです」
本当のことを口にしたら、蒼さんは苦笑する。
「そんなものは関係ないよ。私は気にしない。そして彩も、きっと。ここでの贅沢な暮らしより、君との生活を望むだろう」
「……そうでしょうか」
「彩は紫信くんを愛している。もう二度と離さないであげてくれ」
もちろん、そのつもりだ。
「彼女たちは蝶なんだよ。色という蜜を吸い、子供が好む男性を見極めて娘を託す。私たちは食料でしかない。娘が美しく成長して初めて番としての役目を果たせる」
「蝶と……番」
「そう。私は後悔していない。七瀬に人生を捧げられたことを誇りに思っているよ」
俺はどうなんだろう。
蒼さんのように生きられるだろうか。
「困ったことがあれば私が相談に乗る。父親として、番の先輩として」
「ありがとうございます……」
何気なく壁の時計を見る。
時刻は深夜零時を過ぎていた。
「あ……」
真城のことを忘れていた。完全に。
俺は蒼さんに断って席を外し慌てて真城に電話をかける。
「あ……真城。遅くなってすまない。俺も彩も無事……」
『……バカ!鐡さんのバカ!僕がどれだけ心配したか分かってんすか!?』
「悪かった。すまない。この通りだ」
『ファミレスのドリンクバー制覇してましたよ!お腹がチャプチャプしてますよ!どーしてくれるんですか!』
「……ファミレスに居たのか」
『山ん中で一人で待つ勇気は無かったっす』
それもそうだ。
『紅林さんに連絡してから迎えに行きます』
「頼む。あ……多分すぐには帰れないが大丈夫か」
『どーせ暇なんで。大丈夫です』
少しして真城が別荘に到着した。
真城は「お金持ちの家だ!」と子供のようにはしゃいで建物の中を探検している。
「……すみません蒼さん。うるさくて」
「構わないよ。愉快なお友達だね」
「……友達ではないですけど」
「そうなのかい?」
「いや。友達です。頼りになる親友です。……本人には言わないでください」
「分かった」
彩がゲストルームから出て来た。
七瀬の意識が戻ったらしい。
蒼さんが真っ先に向かった。
七瀬のこと、本当に大切にしているんだと思った。
すぐに俺と彩が呼ばれる。
ベッドに横たわったままの七瀬は泣きながら詫びていた。
「お母さん。私は大丈夫だから。気にしなくていいよ」
「そうだ。病気のせいだったんだろう?」
「早く元気になって一緒に帰ろう」
七瀬は首を横に振る。
「……一緒には暮らせない。私、彩に酷いことした」
「お母さん」
「七瀬はこれまで通り私が自宅で面倒を見るよ」
彩は諦めきれない様子だった。
優しい娘だ。
「じゃあ。時々、会いに行くのはいい?」
「私は構わないよ。彩が来てくれたら私も嬉しい」
「ありがとうございます。……お父さん」
蒼さんが胸を押さえて倒れた。
彩にお父さんと呼ばれたことが余程嬉しかったようだ。
俺も呼ばれたことが無いのに。
羨ましい。
「蒼さん」
「お義父さんと呼んでくれ。紫信くん」
「……お義父さん」
「何だい?息子よ」
「落ち着いたら彩さんと結婚します」
言った瞬間に彩が俺の脇腹を殴った。
「なに勝手に決めてるの!?」
「嫌なのか?」
「……嫌ではない……ですけど……!心の準備が!」
「もちろん待つつもりだ。だから落ち着いたら、と言っている何年先でも構わない」
「私は若いからいいですけど。紫信さん、どんどんオジさんになりますよね」
「それは仕方ないだろ。俺が悪い訳じゃない」
時間の流れには抗えない。
「……わかりました。なるべく早く痩せます」
「何で痩せる必要がある」
「だって……」
「俺は今のままの彩が好きだ」
彩は黙り込んだ。
怒らせてしまったかもしれない。
「やだなぁ鐡さん。乙女心が分かってない」
いつの間にか部屋の入口に居た真城がニヤニヤしながら言った。
「彩ちゃん鐡さんにキレイなカラダを見て欲しいんすよー」
「痩せなくても彩は綺麗だろ。それに俺は柔らかい彩を抱きたい」
言ったら今度は彩に頬を殴られた。
褒めているのに理不尽だ。
「ホントなんも分かってないんすね」
「……女は難しい」
「今度教えますよ、女の子が喜ぶ褒め方」
その日は別荘に泊まった。
学生時代の合宿を思い出す。
彩は七瀬が作ったシチューを二回もおかわりしていた。
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