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煙のようなアレは瓶の中で凝縮されてインクみたいになってた。
自分でやったんだけど不思議。
「このインクで手紙を書け」
そう言って、紫信さんは彼女の前に白い便箋を置く。
彼女は戸惑ってた。
そりゃそうだよね。
「このインクで手紙を書いてー。ソコのポストに投函するとね。心に溜まったイロイロなモノがキレイになるんだよ」
真城さんがにこやかに説明する。
私も初耳だった。
普通の手紙カフェだと思ってたから。
「そういう店だったんだ。十年前までは」
「十年前……」
それって……お母さんが居た頃?
黒髪の彼女は素直に手紙を書いてた。
内容は彼女にしか分からない。
きちんと封をした手紙を、彼女がポストに入れる。
そして清々しい顔で頭を下げて帰って行った。
もしかしたら人助けをしたのかもしれない。
よく分からないけど。
「ねー。彩ちゃん」
「はい」
「彩ちゃんの前で鐡さんって何色?」
「えっと……青です」
「そっかー。なるほどね」
真城さんはニヤニヤしてた。
無関心に近い色だって知ってるのかも。
「炎ってさ。青い部分のが高温なんだよ」
それだけ言い残して真城さんも帰って行く。
言われた意味が分からなかった。
◆
翌朝。
部屋のドアがノックされる音で起こされた。
時計を見たら五時三十分。
何。朝練?
「……何ですか紫信さん。こんな時間に」
「行くぞ」
「どこへ」
有無を言わさず手を引かれる。
パジャマのままなんですけど。髪もボサボサだし。
紫信さんは無言のまま階段を下りて行く。
連れていかれたのは一階のカフェ……の事務所。
紫信さんは何を思ったのか、書類のロッカーを押して動かし始めた。
いや、無理でしょ。いくら紫信さんが筋肉自慢でも。
思ったよりあっさりどかされたロッカー。
ロッカーで見えなかった白い壁面に何かある。
「……鍵穴?」
まさかの隠し扉とか?
紫信さんが私に古い鍵を手渡した。
「開けてみろ」
「……何か怖いんですけど」
「いいから開けろ」
いつも通りの無愛想。
逆らうのも面倒なので従う。
鍵を差し込んで右に回すと小さな手応えがあった。
壁面の一部が手前に動いて、右側にスライドする。
そこには畳半畳分のスペースがあった。
右側には下へと続く階段がある。
「……地下室?」
ビルは地上四階建て地下一階だったらしい。
「入れ」
「……暗くてカビ臭くて怖いです」
紫信さんはLEDのランタンを手に先に入って行く。
私も慌てて後を追った。
階段を下りた先。右側に扉がある。
今度は紫信さんが開けてくれた。
でも私にランタンを手渡して先に入れと目で合図する。
だから怖いって言ってるのに。鬼。
真っ暗な部屋の中には棚が整然と並べられていた。
棚には古そうな本。そして、おびただしい数のインクの瓶。
「これは……」
「七瀬さんのコレクションだ」
「……お母さんの?」
「彼女は封じ込めた感情の色を眺めるのが好きだった」
紫信さんの口からお母さんとの思い出を聞いたのは初めて……だと思う。
たぶんお互いに避けてた。
「彩に感情の色が見えなければ、何も知らせず普通に育ててくれと言われていた」
「そう……なんですか」
「いつから見えていた」
「……物心ついた時から」
紫信さんは大きな溜息をついた。
「全く気づかなかった」
「……言ったら変な子だと思われて捨てられると思ってました」
「俺はそんなに信用出来ないか」
「だって。紫信さんにとって私はお荷物でしか無いですし」
「誰がそんなことを言った」
「私がそう思っていたんです」
私を育ててくれたのはお母さんとの約束があったからだった。
紫信さんはお母さんを愛していたから、約束を守っただけで。
私のことを愛していた訳では無い。
「……紫信さん」
「何だ」
「私、家を出ます」
それがお互いの幸せに繋がる。
「今までありがとうございました」
紫信さんの感情の色は揺るがなかった。
ほら。私のこと何とも思ってない。
「早めに部屋と仕事を探します。だから、見つかるまでもう少しだけ、お世話に――」
不意に引き寄せられる。
そして痛いくらいに抱き締められた。
「……駄目だ。許さない」
「……紫信さん。演技はいいです。全部わかってますから」
「っお前は何も分かってない!」
何が分かってないの?
私には見えてるのに。
「俺の色は偽りだ」
「……え?」
「七瀬さんに悟られるのが嫌で……必死に感情をコントロールして来た」
「でも……お母さんはもう居ないし、私が見えるって知らなかったんですよね?」
「……今の俺は何色だ?」
「……青です。とても濃い青。ずっと変わらず」
「青……」
紫信さんが私の肩を掴み項垂れる。
上げられた顔には悲壮感が漂ってた。
「……どうかしましたか?」
「……いや。何でもない」
「何でもなく無いですよね。その顔」
「彩。もう此処へは来るな」
「どうしてですか?お母さんのこと知りたいです」
「駄目だ」
連れて来ておいて今度は入るなって?
「理由を言ってください。私が納得する理由を」
「……知られたくない」
「何をですか」
「言えない」
何それ。
「紫信さん。出てってください」
「何でだ」
「お母さんが残してくれた資料を読んで勉強します」
「それが駄目だと言っている」
意味がわからない。
「私が知ったら都合の悪いことでもあるんですか?」
紫信さんの目が泳いでた。
分かりやすく動揺してる。
「私は知りたいです。お母さんのこと。昨日の出来事のこと。それから……紫信さんのこと」
考えてみたら私は彼のことを何ひとつ知らない。
ただの同居人。お互い深入りはしなかった。
少しの沈黙の後。
紫信さんは絞り出すように言う。
「……分かった。好きにしろ」
「ありがとうございます!」
「お前が調べて知る前に言っておく」
「何ですか?」
「俺のは家族としてだ。それ以上は無い」
そう言い捨てて、紫信さんは階段を上がって行く。
「……意味わかんない」
気を取り直して本棚を物色する。
感情別に色をまとめた事典のようなものを見つけて引き出した。
部屋の壁に造り付けられた机に置いて開く。
「青……濃い青は」
右手の人差し指でなぞりながら文字を読み進める。
「……いや、これは無い」
色見本の横に書かれていたのは、【藍色】の文字。
藍は愛に通ずる。
情熱の赤より熱く深い、本物の愛の色。
あの紫信さんが私を溺愛する理由が無いし。
きっと見間違いだ。
万が一、本当だとしても。
お母さんの代わりとか、そんなだろう。
似てないけど。
「無いわー……」
……知らなければ良かった。
今からどんな顔で紫信さんに会ったらいいか分からない。
紫信さんに色が見えないのが唯一の救いだ。
きっと今の私は。
紫信さんと同じ色をしてる。
【 続 】
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