01 アイノイロ (side AYA)

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 煙のようなアレは瓶の中で凝縮されてインクみたいになってた。  自分でやったんだけど不思議。 「このインクで手紙を書け」  そう言って、紫信さんは彼女の前に白い便箋を置く。  彼女は戸惑ってた。  そりゃそうだよね。 「このインクで手紙を書いてー。ソコのポストに投函するとね。心に溜まったイロイロなモノがキレイになるんだよ」  真城さんがにこやかに説明する。  私も初耳だった。  普通の手紙カフェだと思ってたから。 「そういう店だったんだ。十年前までは」 「十年前……」  それって……お母さんが居た頃?  黒髪の彼女は素直に手紙を書いてた。  内容は彼女にしか分からない。  きちんと封をした手紙を、彼女がポストに入れる。  そして清々しい顔で頭を下げて帰って行った。  もしかしたら人助けをしたのかもしれない。  よく分からないけど。 「ねー。彩ちゃん」 「はい」 「彩ちゃんの前で鐡さんって何色?」 「えっと……青です」 「そっかー。なるほどね」  真城さんはニヤニヤしてた。  無関心に近い色だって知ってるのかも。 「炎ってさ。青い部分のが高温なんだよ」  それだけ言い残して真城さんも帰って行く。  言われた意味が分からなかった。 ◆  翌朝。  部屋のドアがノックされる音で起こされた。  時計を見たら五時三十分。  何。朝練? 「……何ですか紫信さん。こんな時間に」 「行くぞ」 「どこへ」  有無を言わさず手を引かれる。  パジャマのままなんですけど。髪もボサボサだし。  紫信さんは無言のまま階段を下りて行く。  連れていかれたのは一階のカフェ……の事務所。  紫信さんは何を思ったのか、書類のロッカーを押して動かし始めた。  いや、無理でしょ。いくら紫信さんが筋肉自慢でも。  思ったよりあっさりどかされたロッカー。  ロッカーで見えなかった白い壁面に何かある。 「……鍵穴?」  まさかの隠し扉とか?  紫信さんが私に古い鍵を手渡した。 「開けてみろ」 「……何か怖いんですけど」 「いいから開けろ」  いつも通りの無愛想。  逆らうのも面倒なので従う。  鍵を差し込んで右に回すと小さな手応えがあった。  壁面の一部が手前に動いて、右側にスライドする。  そこには畳半畳分のスペースがあった。  右側には下へと続く階段がある。 「……地下室?」  ビルは地上四階建て地下一階だったらしい。 「入れ」 「……暗くてカビ臭くて怖いです」  紫信さんはLEDのランタンを手に先に入って行く。  私も慌てて後を追った。  階段を下りた先。右側に扉がある。  今度は紫信さんが開けてくれた。  でも私にランタンを手渡して先に入れと目で合図する。  だから怖いって言ってるのに。鬼。  真っ暗な部屋の中には棚が整然と並べられていた。  棚には古そうな本。そして、おびただしい数のインクの瓶。 「これは……」 「七瀬(ななせ)さんのコレクションだ」 「……お母さんの?」 「彼女は封じ込めた感情の色を眺めるのが好きだった」  紫信さんの口からお母さんとの思い出を聞いたのは初めて……だと思う。  たぶんお互いに避けてた。 「彩に感情の色が見えなければ、何も知らせず普通に育ててくれと言われていた」 「そう……なんですか」 「いつから見えていた」 「……物心ついた時から」  紫信さんは大きな溜息をついた。 「全く気づかなかった」 「……言ったら変な子だと思われて捨てられると思ってました」 「俺はそんなに信用出来ないか」 「だって。紫信さんにとって私はお荷物でしか無いですし」 「誰がそんなことを言った」 「私がそう思っていたんです」  私を育ててくれたのはお母さんとの約束があったからだった。  紫信さんはお母さんを愛していたから、約束を守っただけで。  私のことを愛していた訳では無い。 「……紫信さん」 「何だ」 「私、家を出ます」  それがお互いの幸せに繋がる。 「今までありがとうございました」  紫信さんの感情の色は揺るがなかった。  ほら。私のこと何とも思ってない。 「早めに部屋と仕事を探します。だから、見つかるまでもう少しだけ、お世話に――」  不意に引き寄せられる。  そして痛いくらいに抱き締められた。 「……駄目だ。許さない」 「……紫信さん。演技はいいです。全部わかってますから」 「っお前は何も分かってない!」  何が分かってないの?  私には見えてるのに。 「俺の色は偽りだ」 「……え?」 「七瀬さんに悟られるのが嫌で……必死に感情をコントロールして来た」 「でも……お母さんはもう居ないし、私が見えるって知らなかったんですよね?」 「……今の俺は何色だ?」 「……青です。とても濃い青。ずっと変わらず」 「青……」  紫信さんが私の肩を掴み項垂(うなだ)れる。  上げられた顔には悲壮感(ひそうかん)が漂ってた。 「……どうかしましたか?」 「……いや。何でもない」 「何でもなく無いですよね。その顔」 「彩。もう此処へは来るな」 「どうしてですか?お母さんのこと知りたいです」 「駄目だ」  連れて来ておいて今度は入るなって? 「理由を言ってください。私が納得する理由を」 「……知られたくない」 「何をですか」 「言えない」  何それ。 「紫信さん。出てってください」 「何でだ」 「お母さんが残してくれた資料を読んで勉強します」 「それが駄目だと言っている」  意味がわからない。 「私が知ったら都合の悪いことでもあるんですか?」  紫信さんの目が泳いでた。  分かりやすく動揺してる。 「私は知りたいです。お母さんのこと。昨日の出来事のこと。それから……紫信さんのこと」  考えてみたら私は彼のことを何ひとつ知らない。  ただの同居人。お互い深入りはしなかった。  少しの沈黙の後。  紫信さんは絞り出すように言う。 「……分かった。好きにしろ」 「ありがとうございます!」 「お前が調べて知る前に言っておく」 「何ですか?」 「俺のは家族としてだ。それ以上は無い」  そう言い捨てて、紫信さんは階段を上がって行く。 「……意味わかんない」  気を取り直して本棚を物色する。  感情別に色をまとめた事典のようなものを見つけて引き出した。  部屋の壁に造り付けられた机に置いて開く。 「青……濃い青は」  右手の人差し指でなぞりながら文字を読み進める。 「……いや、これは無い」  色見本の横に書かれていたのは、【藍色(あいいろ)】の文字。  藍は愛に通ずる。  情熱の赤より熱く深い、本物の愛の色。  あの紫信さんが私を溺愛する理由が無いし。  きっと見間違いだ。  万が一、本当だとしても。  お母さんの代わりとか、そんなだろう。  似てないけど。 「無いわー……」  ……知らなければ良かった。  今からどんな顔で紫信さんに会ったらいいか分からない。  紫信さんに色が見えないのが唯一の救いだ。  きっと今の私は。  紫信さんと同じ色をしてる。 【 続 】
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