02 カゾクノカタチ (side SHINOBU)The Past.

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02 カゾクノカタチ (side SHINOBU)The Past.

 終わった。  何もかも。  子供の頃からの夢を叶えたのに。  華々しい舞台には立てなかった。  その程度の人間だったんだ、俺は。  夕暮れの駅。  電車の接近を知らせるアナウンスが遠くに聞こえた。  吸い寄せられるようにホームの縁に立つ。  あと一歩。  踏み出せば楽になれる。 「ねぇ、君」  我に返ると同時にリュックサックが引っ張られた。  目の前を特急列車が通り抜ける。  呆然とする俺の腕に絡む細い指。  押し付けられた柔らかな感触。 「私とイイコトしよう?」  長い栗色の髪の小柄な女性だった。  最初は大きな胸に気を取られたが、目が覚めるような美人だ。  彼女は戸惑う俺の腕を引っ張って駅の改札を出る。  手を振り払うことも出来た。  それでも従ったのは、下心があったからだ。  さっきまで死のうと思っていたのに。  我ながら情けない。  ホテルに直行かと思ったのに、彼女は俺を連れ回した。  カラオケ、ボウリング、ダーツ。  それから居酒屋。  彼女が酔い潰れたらチャンスだ。  そう思って次々と酒を注文する。  なのに俺の方が潰された。 「ちょっと、大丈夫?」  そう言って彼女は涼しい顔で、テーブルに突っ伏した俺の頭を撫でてる。  何であれだけ飲んでも酔わないんだ? 「困ったなぁ。そろそろ迎えに行かないといけないのに」 「……誰の」 「娘」 「娘……?」  まさかの人妻か?  一気に酔いが醒める。 「あ、それは大丈夫。シングルマザー」  俺の心を読んだかのように彼女が答えた。 「タクシー拾うから。ひとりで帰って」  勝手に連れ回しといて放り出すのか?  美人だからって許されると思うなよ。  彼女は全く悪びれる様子も無い。  店を出てタクシーを止め、俺を押し込んだ。  そして、文句を言おうとした俺の唇に指を押し当て言う。 「もう死にたくなくなったでしょ?」  どうして……分かるんだ?  戸惑う俺に微笑んで、彼女は名刺を俺の胸ポケットに入れる。 「辛くなったらいつでも来なさい」  名残惜(なごりお)しかったが、素直に従うことにした。 ◆  翌朝。  酷い二日酔いだった。  記憶が無いが自宅に帰り着いていた。  胸ポケットに入っていた名刺。  彼女との出来事が夢では無かったと教えてくれる。  名刺と思ったそれはショップカードだった。  可愛らしいコーヒーカップの絵に【手紙カフェ】の文字。  住所は意外と近い。  そこへ行けば彼女に会える。  いや、でもすぐに行ったら変だよな。  ストーカーだと思われるかもしれない。  小さなアパートの部屋。  引っ越したばかりでまだダンボールが積まれている。  少し前まではデザイナーズマンションに住んでいた。  職業はプロ野球選手だった。  社会人を経てようやく入団出来たのに。  今年、戦力外通告をされた。  同時に、彼女にもフラれて。  プロ野球選手じゃなくなった俺に価値は無いと言われた。  何もかも嫌になった。  で、死のうと思った。  夕方。体調も良くなったのでシャワーを浴びて外出する。  散歩がてら彼女の店に向かった。  店に入らなくても姿くらい見れるかも……と考えて、それって完全にストーカーだよな、と苦笑した。 ◆  迷いながら辿り着いた町外れの小さなビル。  一階に彼女のカフェがあった。  木材が多く使われたナチュラルな外観。  観葉植物が青々と茂っている。  しばらく様子を見ていたが、店から出て来るのは若い女性ばかりだ。  場違い感が凄まじい。 「……帰るか」  諦めかけた時、店の中から彼女が姿を見せた。  そして、明らかに俺に向かってにこやかに手招きをしている。  ほとんど姿は見えていないと思うのに。 「……超能力者か?」  見つかってしまったから仕方ない。  そう自分に言い訳して店に向かう。 「来てくれたの?嬉しいなぁ」  カウンター席に座る俺に、彼女は笑顔で水を出した。  礼を言って口を付ける。  ただの水なのに彼女の前だと美味しく感じた。  他の客は居ない。  二人きりの空間。  少し照れくさい。 「えーと。君の名前。昨日、聞くの忘れてた」 「(くろがね)」 「苗字じゃなくて下の名前」 「……紫信(しのぶ)」 「しのぶちゃん。いい名前ね」  自分の名前は女みたいで好きじゃない。  しかも【ちゃん】を付けて呼ばないで欲しかった。 「私は七瀬(ななせ)。七瀬さんって呼んで」 「さん?呼び捨てで良いだろ」 「だって私のが歳上だし」  ウソだろ。その顔で?  どう見ても二十歳そこそこだろ。 「何歳だよ」 「それは言えない」  まあ……そうだよな。  女性に年齢を聞くのは失礼だった。 「しのぶくんは素直だねー」 「……どこが」 「全部」 「……バカにしてるだろ」 「してないよ?素敵だって言ってるの」  サラッと人を褒めるんだよな、この人。  だから素直に受け入れられる。  コーヒーを飲みながら他愛ない会話をした。  俺も自分のことを包み隠さず話した。  彼女も大恋愛の末結ばれた旦那さんと死別したこと、ようやく授かった娘が可愛くて仕方ないこと、いろいろ話してくれた。 「再婚する気ないのか?」  さりげなく探りを入れてみる。  これだけ魅力的な女性だ。  狙っている男は多いだろう。 「考えたこと無いなぁ」 「どうして」 「娘がね。物凄い人見知りで。私以外の人に懐かないの」  なるほど。娘が最優先か。  当然だよな。 「あ、しのぶくんなら大丈夫だったりして」 「何で」 「なんとなく?」 「……何だソレ」  娘に気に入られれば彼女と結婚できるってことか? 「しのぶくんは?どうなの」 「何が」 「しばらく女は要らないって言ってたけど」 「……まあ。あんなフラれ方したばっかだし」 「もったいないねー。いい男なのに」  彼女の心が読めない。  一般論で言ってるのか、自分の主観なのか。 「七瀬……さん」 「ん?」 「仕事終わるの待ってていいか?」 「いいけど。すぐに娘を迎えに行かないと」 「俺も一緒に」  どうせバレてるんだろ?俺の下心。  だったら隠す必要も無い。 「仕方ないなぁ」  彼女がカウンターから身を乗り出して俺に囁く。 「かなり溜まってるみたいね」 「っ!!」  直球だな、この人。 「全部出して楽になりたい?」 「……いいのか?」 「しのぶくんならタダでいいよ」 「普段は金取ってんのか!?」 「まあ商売だし」  ……信じらんねぇ。  これだけ美人なら高く売れるだろうけど。  娘が居るのにそんなことしてんのか? 「そろそろ閉店だから。奥の個室で待ってて」  しかも店内ですんのかよ。  ……どこでも一緒か。  個室の扉を開ける。  そこには無機質なベッドと頑丈そうな木製の椅子が置かれていた。  整骨院とかにありそうなベッドだった。 「……色気なさすぎ」  とりあえず椅子に腰掛けて待つ。  壁に作り付けられた棚には小さな瓶が並べられていた。  どれも空っぽ。  何か意味あんのか? 「お待たせ。じゃ、始めよっか」  軽いな。それだけ抱かれ慣れてるってことか。  ちょっと幻滅した。 「……って、何してる」 「んー?拘束」  彼女が俺の手足を、ベルトで椅子に縛り付ける。  そんなマニアックなのは求めてない。 「そんなことしなくていい。俺は普通に」 「しのぶくん暴れると思うから」 「……どういう意味だ」 「これからね。しのぶくんの中のドス黒い感情を抜き取ります」  何を言ってるんだこの人。 「怖がらなくていいよ。痛くしないから」  その笑顔が逆に怖いんだよ。 「上手く出来たらご褒美あげる」  歯医者に来た子供か俺は。 「何が欲しい?」 「……何でもいいのか?」 「私があげられるものなら何でもいいよ」 「じゃあ……一晩」 「一晩?」 「七瀬さんとの一夜が欲しい」  言ってしまった。  激しく後悔したが一度発した言葉は取り消せない。 「んー。わかった」 「……いいのか?」 「私に最高の色を見せてくれるなら」 「……最高の色?」 「私ね。人の感情が色に見えるの」  信じられる話じゃなかった。 「だから。死の色を(まと)った君を駅で見かけて声を掛けたの」 「何で……」 「目の前で死なれたら気分悪いから」  なるほど。確かにそうだ。 「少しは元気な色に戻ったけど。まだ辛そうだから。私が抜いてあげる」
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