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第20話:~Fin~
熱を帯びる黒が身体を包む、地獄のような夢。何度目かと思われたそれは、これまでになかったような一筋の変化を見せる。
ソレは、感触によるものではない。端から端まで、走る痛覚の甚だしさは変わらない。
ソレは、聴覚によるものではない。際限なく響く音の、差異もわからない。
ソレは、視覚によるもの、である。ただし、ただ視界が変化したという表現も、正しくはない。
つまるところ、変わったのは視点である。この地獄を見とる者。すなわち、この悪夢を見る上で、己の目となっていた者。その身姿を拝めるようになっていたのである。小説本で言うところの、『一人称から三人称』に変わったという具合だ。
彼女。
幾億年も、幾兆年も、孤独に浸る彼女の存在は、もはや神と称しても過言ではない。いや或いは、『神様』ですら及びつかないくらいのナニカなのかもしれない。
『やっ・・と・・・・』
その目が、その視線が、こちらを向いた。
信じられざる光景だった。テレビ越しに見ていた人物に、こちらが見られているような錯覚。いや実のところ、実際に、紛れもなく、はっきりと、見られているわけなのだが。
『見てくれ・・・た』
一糸纏わぬ彼女。嫋やかな青髪を携えた、美麗な肢体。しかしその顔だけが、人を認識する上で最重要な貌だけが、靄がかっていて分からない。
「いつ、か・・・・・」
彼女だけが、ここにいる唯一の、者。ゆえに、だからこそーーーーーこの情景そのものを見とめる『僕』は、彼女にとって奇異な存在だったのだ。
彼女の宣う『いつか』。そのために彼女は、一体どれほどの時間を過ごしてきたのだろうか。そして、その『いつか』に何があるのか。しかしその口上だけが、『未だ知るべき時ではない』と宣う、風の音に消えた。
「・・・・・ぅん?」
酷い夢から解放された僕を、待ち受けていたのは、沈黙だった。悪夢にあてられた脳は、正常とは言えず、まだ正常な視力として成さないその目を、出来る限り凝らすしかない。しかしその空間認識は、そこまで時間が掛からなかった。
「牢・・?」
小綺麗な鉄格子に囲われた空間。ソレが自身を取り巻く世界だった。
その既視感をもって、辺りを見渡すも、ここにいるのは僕だけ。
「・・・・・・ぁ、花火・・・・」
外側に通ずる窓格子から鳴り響いた、弾ける轟音。暗闇を鮮やかに色なす光が、暗い空間の節々を照らした。窓越しに見ゆるそれをもって僕は、親友との約束を思い出す。
「そういえば・・・ミヤビとミウと・・・花火見に行く・・・約束、だっけ?」
こんな重要なタイミングで、牢に囚われているとは何事だ。これでは、彼らを呼びにいけず、約束を果たせない。ただし、件の花火大会は三日連続で行われているはず。明日の最終日のタイミングで、一緒に観に行くのがいい。
であるのなら、少なくともこんな所から一刻も早く出なければならないだろう。
「とりあえず、早く出て・・・ミヤビたちを呼ばなきゃ・・・・・っ痛!?」
目標即断のちに、立ち上がらんとする僕の心象を阻むソレ。
立ち上がる際に、床に掛けた左手。そこに鋭い痛みと違和感が走る。奇異的に感じたその左手を、自身の眼前へと遷移させた。
「・・・・・・・・・・・あぁ」
小指の欠如した左手。
ソレを鑑みた僕は、全てを思い出す。見て見ぬ振りした現実を振り返る。
昂る血流に、酸素の行き届かぬ肺。過呼吸に加えて、『えづき』に荒れた身体。それらすべてを精一杯に飲み込み、やっとの思いで、その事実を口にした。
「もういない・・・の、か・・・、ミウも・・・・ミヤ、ビはーーーーーー」
凄惨な有様と化した、妹のことを。自身の手で葬った、親友のことを。
結局僕は、その『留置所』で何日もの間、拘束されることとなった。かかった嫌疑は『火事場の親友殺し』。曰く、街部にて局所的に起こった地震に乗じ、雅家のご子息を殺害したのではないか、というものだった。現場に何時間も居座り、血まみれで佇む少年。殺人犯として扱うには、十分な状況証拠。そして、幾たびもあった取り調べの際、僕はその事実を肯定した。適当でもっとらしい動機を見繕い、検察官に伝達した。しかし・・・・何日も続いた取り調べの結果、僕の処遇は『不起訴』であった。
『地震発生時に、亡くなった二人を見て動転したのでないか』という意見と、ソレを裏付ける『精神状態の不安定性』を鑑みてのものだという。余りにも不自然な結論だったのだが、警察組織全体に『そういう流れ』が生じたために、各人がソレに従ったようであった。結果、計一月の時間を牢で過ごしたのちに、僕は釈放されることとなった。しかし、少年法にあてがわれることすら無かった処遇。それは僕を含め、誰も彼もが許すまじき事実である。
釈放日の翌日、僕はいつも通りに登校する。
情報の全てが包み隠されず、世間に回っている現状を知った上で。司法の断罪から免れた犯罪者が、現代社会においてどのような仕打ちに合うかも理解した上で。
「・・ ・・・ ・・・」
小声の挨拶を携え、できるだけ目立たぬように、スライド式の扉を引き摺りながら、自身の教室を見据える。正確には教室全体ではなく、こちらを見とる自身のクラスメイト達を。
その、感情たちは。最悪の一言だった。
彼らは中学生。高校生より子供で、無関心を通す人間は誰一人として存在しない。小学生より大人で、事情の重大性を理解でき得る。糾弾、罵倒、考察、憐れみ、恐怖、嘲笑、等々・・・・心象は、十人十色。ただし共通しているのは、飛び交う感情のすべてが僕に向けたもの、であることだった。
一身に受けたソレらの苦痛を、表に出さないように、僕は自身の机の方に向かう。
「・・・・・・・・・」
一瞬だけ、自身の机位置を間違えたのかと、錯覚した。なんせ、僕自身が常に用いていた机は、その節々を切り刻まれ、一面に落書きを仕込まれている。『人殺し』や『薄情者』などと描かれたソレらを見とめる僕。その側方で、クスクスと談笑する人溜まり。
ソレを横目に、理解する。
もう学校にも、自身の居場所が存在しないことを。
もっとも、その考えすら甘いのかもしれないが。
「・・・・・ぐぷっ!?」
既知の攻撃と不意の攻撃、どちらが痛いかといえば、当然後者の方。前者は殴られる覚悟を持てるが、後者はその身を強張ることすら許されない。しかして、嫌の方はどちらかと問われれば、迷わず前者を選ぶ。覚悟とは時に、攻撃を受ける以上の苦労を催す。心象を読める僕からすれば特に。
僕はソレを・・・・・大家からの拳を頬に喰らい、改めて実感した。
「どの面下げてきた?」
全身の黒スーツに加え、頭部にて七三分けを整えた彼。僕がアレン先輩と慕っている、数少ない愛和児童園の出身者で、親し・・・かった大家。いつも礼儀正しく、激情を見せない仏頂面な彼。
仰向けに倒れる僕の、襟を掴みながら上方へと持ち上げるアレン先輩。眼前に映る顔と、深奥にて揺らぐ心象には、甚だしい激情が巣食っていた。
無論その対象は、問われた題に肯定を返した僕、である。
「ミウを殺した?ミヤビ君を殺した?・・・・正直に言えば、お前に居場所があると思ったか?」
「・・・・・・」
「ここから出ていけ。消えろ。お前は愛和施設長の泥を塗った。息子だろうと・・・・いや、息子だからこそ、そんなお前に、貸す部屋も、義理も、無い。消え去った。いなくなった。」
下校した時点で既に集っていた、209号室の荷物達。殆どがアレン先輩からお借りしたソレら。襟を始点に放り出された僕の身は、その荷物群へと飛び込む。けたたましい音をたてたソレらは、節々を傷つけながら辺りに散らばる。
「二度とオレの前に現れるな。」
正義漢の具現化。愛和施設長を敬するゆえに、言動の一句一句が酷似したその口上。僕の心軸を貫いたソレを捨て台詞とし、アレン先輩は立ち去る。
間際の瞳に、確かな殺意を宿して。
「・・・・・・・」
新宿に勝らずともソレなりの喧騒の街にて、僕はその身を懸命に引きずる。彷徨く、という表現の方が近いか。なんせ僕には、行き先も帰る場所もない。今日の寝床を探すので精一杯。
しかし、疲弊し切った心にかかる鈍痛。当然ソレらは、閑古鳥のような通行人達の心の叫びに寄るもの。多種多様な形を成したフォークをもって、脳髄をかき混ぜられるような感触。慣れ切ってしまったとはいえ、多彩な心の矢印による思考阻害は、並々ならぬもの。
唾液を飲み込み、舌を遊ばせてまた作り・・・・その繰り返しで、何度も痛みを誤魔化す。乱れる呼吸に拍車を掛け、できる限りに酸素の循環速度を高める。過呼吸の苦痛をもって、脳髄に迸る痛みを分散させる。
「痛、だ・・・・ぃ・・・・だ・・・ぃ・・よ」
ことさら酷いのは、群衆の一部が、僕のことを知っていたこと。自身に対する興味の強さは、受ける感情の強度を高めることになる。事件の情報拡散は、僕の預かり知らぬところにあるが・・・ここまでだとは思っていなかった。
知る者に比例して、苦痛はより増していく。
「ぃや・・・何・・を、驚いてぃ・・・んた・・だ・・・僕は。」
当然だ。
こんな痛みを味わうのに足ることを、僕はした。今更驚くことではない。驚いてはならない。『親友を死なせる』というのは、そういうことだ。あの二人の命の重さが、僕の想像する範疇で測れるものではないのは、当たり前のこと。
帽子越しに頭皮を押さえる。痛みを抑えるためではない。その鈍痛を、より深く、自身の心に取り込むために。
「ぐる、しめ・・・くる死、め・・・・僕・・・ぼ、く・・・」
もっと苦しめ。のたうちまわれ。食いしばれ。自身に安らぎを許すな。
「あ゛・・・ぁぁぁぁぁぁ・・・っ!!!!」
自分を・・・・可哀想だなんて思うな。
陽もすっかりと落ち、蔓延る街人が殆ど消えた頃合いにて、僕は公園で佇んでいた。巡回中の警察官に遭遇する恐れもあるが、寝泊まりするのならば此処くらいしかないだろう。
「・・・どぅしよ、うか・・」
ひとまずやるべきは衣食住の確保である。新聞配達のアルバイトは、すでにクビにされているため、新たな職を探さなければならない。しかし僕は今、『不起訴にされた犯罪者』。社会的信用はゼロどころかマイナスに等しい。
進退両難。身動きが取れない窮地とは、まさにこのこと。手段がないからと、あのアパートに戻れば、またアレン先輩に引っ叩かれるか・・・本当に殺されるかだ。
ため息を飲み込みつつ、僕は視線を右往左往させた。
「・・・・ぁ、れ・・?」
赤煉瓦に整えられた綺麗な小路の、その先。林の入り口にあたる草葉の影。緑色に紺色をかき混ぜたような情景に、一筋の違和感。
つまるところ・・・全貌を隠す形で、そこに誰かがいた。
あからさまに僕を意識する誰かへ、向き合うようにして姿勢を変える。そうして、疲弊極まる脳をフル稼働させ、彼の心象を探った。
"谿コ縺励※繧?k"
「・・・・・・・・・・・・・」
やはり一瞬見るだけでは、詳細な感情を読み取ることはできない。ただし、こちらに向かれたその心象について、僕には経験があった。
それは、シラマキと対峙した際に感じたような・・・・猛々しい、純真の殺意。
「なぜ、ミウちゃんを殺した?・・・なぜマサト君を、殺した?・・なぜそれでお前は・・・のうのうと、平気な顔して・・・釈放されている?」
「あなた・・・・・は?」
「いいから゛こたえろっ!!!!」
その口上をもって、男の懐から取り出される銀閃。散歩がてらで持つにしては、あまりにも物騒な果物ナイフ。歯向けた刃に恐れはない・・・が、沈黙を突き通すのは、ひどく不躾だと考える。数秒ほど、言葉選びに思考を回しのち、僕は口を開いた。
「釈放された理由は、わからない、です。ミヤビを殺したのは・・・・・それが、僕のなすべきことだったから・・・です。」
解を発するに選んだのは、正直な自分。当然、『彼方側』の話を避けるために、言葉の節々を省いた・・・・・が、ソレが良くなかったのだろう。憎悪の炎に、油を注ぐ結果になった。
「あいつらを殺すことが、成すべきこと、だった・・・だと?・・・ふざっ・・・・ふざ、けるなぁぁ!!!!!」
燻りから猛りに変異した怒り。
業火のようなその感情を一身に纏いて、男は僕の方に突進する。刃を前方へ差し向け、僕の身体を貫かんとするために。
「・・・・・」
対人の心得はないが、心が読める以上、回避は容易いもの。ましてやその突進速度は、ミヤビやフラン達より遥に鈍足。所詮は凡夫の攻撃でしかない。
けれど、その刃を嘲笑うことはできなくて・・・・・その殺意が間違ったものなのだと、宣うこともできなくて、
「ぁ・・・・」
思考の渦から覚めた頃・・・・・・その刃を、自身の胸で受け止めていたことに気がついた。
「・・・・ぐ・・・かぉ・・・・こっ・・」
胸部に、熱を帯びたような痛みを催す。しかし、慣れた感触に意識が回ることなく、僕は彼の方へ視線を遷移させる。
口端から垂れる吐血が、男の顔に付着する。眼前に見えた彼の素顔について、僕には見覚えがあった。たしか、ミヤビ家で火事が起こった際に、あの二人を抱えていた者。もしかすると、親の失った彼らを保護していた叔父辺りだろうか。予想が適切でなくとも、親戚か、ソレと同等なほどに親密なことには、違いない。
自身の血で、彼の頬を汚してしまったことに申し訳なさを感じつつ、血塊まみれの喉を振り絞って、僕は言の葉を紡いだ。
「だいじょ・・・ぶ、ですか?」
「・・・・・は・・ぁ・・・?」
彼の、腫れた目尻を見るに、あの件について酷く泣き腫らしていたに違いない。このひと月もの間をどんな気分で過ごしていたのか・・・考えるだけで胸が痛い。ならば、せめて彼の心を落ち着かせるのが先決。
今、僕の『成すべき』こと。
「ぼく、のせいで・・・す。ごめんな、さい・・・けど・・あなたが・・苦しん、じゃ・・いけない」
顔の強張りを消し去り、口角を柔軟にして、笑顔を装う。自身が思いつく限りの朗らかを、穏やかな素敵さを、一所懸命に込めて。
「ひッ・・・!?」
「・・・・・・・・・・?」
しかして彼の反応は、僕の予想だにしなかったもの。刃は胸部に刺さったままに、尻餅をついて、こちら側を見上げる男。その目の奥で燻る業火の、一切がかき消えている。ただ唯一残存していたのは、先程と対照的な、どこまでも冷たい『怯え』。
こんなキセキを持っている以上、心の有り様に疑いはない。ただし僕自身が、その怯えに至る『なぜ』を、明確に理解できていなかった。
「ぁ・・・の・・・」
「・・・っ!?く・・・くる・・・な・・・!!」
僕の方から歩みを寄せた瞬間、傍らの砂場を一握りした彼。目一杯に、その砂をばら撒いたかと思えば、即座に立ち上がり後、僕の佇む反対方向へと駆け出る。戦慄く膝は、真っ当な走りを成せず。転んで起きるを数度繰り返しながら、森林の奥へと消えていった。
また独り、取り残された僕。
傍らのベンチを一瞥し、そこへ静かに座り込んだ。
「・・・・・・・」
血ぬれた刃の節々で僅かに残る銀に、反射した赤が湧きでる雫に震えたので、僕は空を見上げる。
雨。
曇り空であろうと無かろうと、地上が夜の帳に染め上げられるのには変わりない。ゆえに僕は、空模様などという些事を、全くと言っていいほど、気にかけていなかった。煉瓦上に溢れた血痕が、一気に洗い流されていく。首を伝う雫の冷たさを感じつつ、水たまりを覗くように俯いた。
「・・・・だれ・・だよ、コイツは・・・」
水面に映る顔を見て、乾いた笑いが漏れる。そこには、青黒い隈がこびりつき、瞳に一切の光を宿さぬ、草葉の陰が良く似合うような少年の相が、映り込んでいた。なるほど、あの男が逃げるわけだ。
その水上で、歪み切った笑みを浮かべる少年の頬に、沸々と現れる赤。胸から水面へと垂れる血に、今更ながら、自身が負傷を負った状態であることを思い出す。
「・・・そ・・・ぅだ・・とら・・なきゃ・・・・」
未だ胸部に突き刺さる刃。心臓部やや数ミリを僅かに逸れたソレ。『勝リ者』である以上、心臓部に至りさえしなければ、こんな負傷で死ぬことはない。
我ながら運が良いんだなと考える。親友と戦って生き残ったことも、あらゆる偶然から得た結果であった。こうなってくると、因果のぶり返しの一つや二つあっても、何ら不思議ではない。
なれば、今後の僕は、運が悪く・・・・・・・・
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
もしも。
そう。例えば、もしも。
自身の濡れた手指で、引き抜こうとした刃を・・・・偶然滑らせて、身体の奥底に沈めてしまったのなら。誤って、心臓部の方へずらしてしまったのなら。ソレは仕方のないことだ。
自殺ではない。運命の下に与えられた事故死になる。
「はは・・・・・」
僕は自殺を許さない。許せない。楽になる資格など、はなから存在しないのだから。ゆえに・・・今から起こることは、きっと偶然だ。僕が望んで起こしたことではない。あらゆる人間は天命に委ねられていると証明する、何の捻りもない、人生の一幕でしかない。
「・・・・・・・・ぁ・・・・」
そんな言い訳じみた、心の叫びを繰り返しながら・・・・・・・・僕は、刃の柄に触れた。
「ダメだ」
雨が止まる。
刃に触れる僕の手が、嫋やかな手指によって、優しく包み込まれる。
ほんの一握りの笑顔と、小綺麗に洒落た傘を携えて・・・・・アンナは、そこに立っていた。
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