20人が本棚に入れています
本棚に追加
満月の秘密
狼の遠吠えに目を開けると、目の前には石造りの大きな建物がそびえ立っていた。雨は止み、白い雲に覆われた明るい夜空に、尖った屋根が突き刺さっている。
「誰か! 誰か、いませんか!!」
近くのドアを叩く。しばらくすると、中からランプを手にした女性が現れた。その服装で、ここが教会だと分かった。
「まぁ、酷い格好。さぁ、お入りなさい」
「いえ、違うんです。オドマイヤー公爵様にお取次を……これを、お届けしなくてはならないんです!」
「公爵様に?」
あたしは首からペンダントを外し、修道女に見せる。彼女は眉を潜めたが、ランプを掲げて確認すると、サッと顔色が変わった。
「まさか、これは……貴女は一体?」
改めて彼女の視線があたしに向いた、その時――柔らかな光が辺りを照らした。雲間を割って、黄金色の満月が姿を覗かせている。
「グアッ……ウウ……」
呻き声が聞こえて振り返る。暗がりに佇んでいた銀色の狼が月光を浴びていた。
「ヒイッ、お、狼っ?!」
「待って! あの狼は、あたしを助けてくれたの! あたしをここまで連れて来てくれたんです!」
修道女が教会の中に逃げ出そうとしたので、咄嗟に縋り付いて止めた。
「ウッ……グウゥ……」
「ああ……狼が……!」
ところが、修道女は顔色を失ったまま、その場に崩れた。震える指先が、あたしの背後を示す。もう一度、振り返ると。
「グゥ……あぅ、あ……ミ、ア」
狼の呻きは、低い男の声に変わった。そして、あたしたちの目の前で銀色の狼は人間の男性の形になった。
その夜の内に、オドマイヤー公爵邸から馬車が来て、現当主の弟と父は感動の再会を果たした。
それから――リクワードの街は大騒ぎになった。
父、アドルフ・フォン・オドマイヤーの証言は、ヒルダおばあちゃんの話と一致した。黒い魔女の魔法は、父を銀色の狼に変えた。満月の光の中でだけ人間に戻ることが出来たけれど、森の中からは出られなかった。月に一度のお使いのとき、木立の陰からあたしを見守ることだけが救いだったという。
あたしに託されたペンダントは、かつてあたしが祖父から贈られたもので、公爵家の紋章が彫られていた。
公爵家は、黒い魔女の討伐隊を結成した。数日後、手負いの黒い魔女が捕らえられ、瀕死の白い魔女が保護された。
厳しい取り調べの末、黒い魔女は近隣の街や村で起きていた誘拐事件の首謀者で、行商人に扮した盗賊団を操っていたことが明らかになった。金の仔羊亭は、満月の夜ごと開かれる、人身売買と薬物の取引場だったのだ。
「やっぱり、森に帰っちゃうの?」
あれから半年が過ぎた。黒い魔女との戦いで重傷を負ったヒルダおばあちゃんは、公爵邸の離れで療養を続けていたが、回復した途端、黒い森に戻ると言い出した。
「あそこがワシの棲み家じゃて」
「寂しくなるわ。必ず遊びに行くからね」
送り届けるために、公爵家の紋章が付いた馬車が用意された。
馬車に乗り込むと、おばあちゃんはあたしの後ろの父にチラリと視線を向けた。
「はて……公爵令嬢の来るところじゃなかろうて」
父はあたしの肩に手を置き、小さく首を振る。黒い魔女が処刑されると、父にかけられていた魔法は完全に消えた。今では弟公爵のサポートに忙しい。
「おばあちゃん、迷惑?」
「……いんや。パイでも焼いておくかのぅ」
あたしたちに向けて、ヒルダおばあちゃんはふっくらと微笑んだ。
「ふふっ。籠にお土産をいっぱい詰めて、赤いローブを着て訪ねるわ。待っててね!」
馬車の扉が閉まる。あたしは大きく手を振った。
【了】
最初のコメントを投稿しよう!