本当の君の隣で

1/1
前へ
/1ページ
次へ
 「沼ハロお疲れ〜!」  「お疲れ〜い!」  喉に流れる生ビールの旨さといったら。  それに、イベント後の疲れも相まって最高の喉越し。  「やっぱ今年は人多かったね」  「それそれ。あんなに写真頼まれたの久々だったわ」  「つーさんのクオリティはやっぱ一般層にも通じるってわけよ」  「いやいや森山くんの顔が良いからでしょ」  「化粧下地のミンテグレート様のおかげよ。ミンテグレート様のおかげでニキビが隠せてんだから」  「てか今回のイベからアイシャドウ変えた?」  「よく気づくね」  俺たちは、大人気フリーゲーム『赤ずきんの銃弾』のコスプレイヤー。  『赤ずきんの銃弾』は育ての親の祖母から執拗な嫌がらせを受けていた赤ずきんの『僕』と、森の中で孤独に生きていた『ひとり狼』が冒険するノベルゲーム。  複雑な家庭環境に育った俺はこのゲームがあったから生きてこられた、という重めの信者だ。  一緒にビールを飲むつーさんこと月川さんも、やはりストーリーに惹かれてコスプレの道へ。  なんだかんだで俺の赤ずきんコスとつーさんのひとり狼コスを5年以上続けている。  「今年はイベントなさそうですよねー。さすがに」  「まあ発売からもうすぐ6年経つし……作者の人も次作の『人魚と人形姫』の方で忙しくされてるもんね」  「新規絵出たらすぐそれやりたいのになあ」  「それはわかる」  「つーさん、ひとり狼以外のコスしないの?」  「あー……うん。あまり他のキャラクターはしたいと感じなくて」  「えぇー。ガタイもいいのに。素材を無駄にしてる。この前出たフェイファンのあの……なんだっけ……あの背が高い人……つーさん映えそうじゃない?」  「すね毛剃らなきゃダメじゃん、あの衣装」  「着眼点そこ?」  「うん。ひとり狼は素材を活かせるじゃん」  「ムダ毛のことを素材って言うな」  つーさんのことは年が3つ上ってことと、土日祝休みのIT系の仕事をされていることぐらいしか知らない。聞いても上手にかわされてしまう。  俺のことを知ってもらったら話すかなと俺はベラベラ話してみたけど、結局面白いようにいじられて終わり。  まあそもそも、ネットで知り合った人間に個人情報をホイホイ教えている自分の方がアホなのかもしれん。  気がつくといい時間で、俺たちは駅に向かってのろのろ歩いていた。  「明日仕事かー」  「嫌すぎる」  「休みたい。休んじゃおうかな」  「俺は打ち合わせあるから無理ー。つーさん休めるの?」  「休めねーよー。あー」  情けない声を出しながら頭をかくつーさん。飲みの後は必ず見られるクセ。  「ほんとさ、コスやってる時が本当の姿だと思うよ」  つーさんは酔っ払うと必ずこれを言う。  「いつものだ。酔ってますね」  「酔ってるよ。帰りたくねー。月曜嫌だ〜」  「また12月にコスイベあるじゃん」  「2ヶ月なげぇ〜!」  今夜もグズグズ言いながらつーさんは電車に乗って行った。乗り過ごさないといいけど。  それから2週間後。  めずらしくつーさんから電話があった。  「どうした?」  「……風邪引いて動けなくて家に何もなくて……」  「おわ。弱ってる。おっけ、食糧買って行くわ」  「ごめん……他に声かけれそうな人いなくて」  「全然。むしろ頼られて光栄。住所はさっき送ってもらったやつね?」  「うん。それで、もう一つ頼みたいのが……」  ゴツッ。  大きな物音だった。  「つーさん?」  遠くでかすかに息をしている音が聞こえるが、返答はない。  「つーさん、倒れた? 俺の声、聞こえる?」  返答はない。  「……つーさん、俺が行くまで通話切らないでね? 声出せそうだったら何か言ってね」  俺は自分の格好も適当に、財布とスマホだけ持つと家を飛び出した。  「呼吸音はかろうじて聞こえるから死んではないよね……?」  40分後、つーさんのマンションの部屋の前で、俺は悪い想像を必死に掻き消していた。  あとは鍵さえ開けばいいんだけど……。  チャイムを押すが返答はない。  電話から同じチャイムの音が聞こえた。住所は合っている。  「つーさん、来たよ! 鍵だけ開けて!」  物音はしない。  「あーもう……」  一か八かで持ったドアノブ。  あっけなくドアが開いた。  「か、鍵かけてねぇ! 逆に危ないよつーさん! そんだけ体調悪かったってこと?」  青ざめつつおじゃますると、苦しそうな呼吸音が奥から聞こえた。  「大丈夫、つーさ——」  リビングの真ん中に、黒い毛むくじゃらの塊があった。  激しい呼吸は、その塊から聞こえる。  近くにスマホもある。  通話相手は、俺だ。  通話を切って、そっと黒い塊を覗き込む。  獣が、死にそうに苦しんでいる。  恐る恐る手で触れると、少し唸った。腰が抜けた。  「つー……さん……?」  獣が目を開いて、俺をチラリと見た。  安心したようにもう一度目を閉じた。  「……ドッキリとかじゃないよね? つーさんなんだね……?」  とりあえず水分を摂らせて、薬を飲ませて、布団に寝かせて、レトルトおかゆとかがある旨をメモに書いて家を出た。  鍵閉めろよ! とも添えといた。  その間すーさんはぐったりしてて本当にしんどそうだった。  ドアを閉めて、今起こったことが本当かどうか信じきれなかったけど、  「あのウィッグ、自前だったんだ……」  という一言をこぼさずにはいられなかった。  3日後。  またつーさんから電話があった。  「ごめん、森山くん。迷惑かけた。助かったよ、本当にありがとう」  「ああ、調子戻ったみたいで良かった、それで——」  「この前来てくれたとき、なんか変なの見なかった?」  「——え」  あの狼ってさあ、と聞く前に、本人から突っ込まれた。  ああ見たよ。狼だよね? つーさん、本当の狼だったんだね。  って答えたら、もう俺はつーさんと二度と会えないような気がしていた。  声色から、冷静さを装いながら焦っている様子だったから。  「見なかったけど。熱でぶっ倒れたつーさんしか見なかった」  嘘は言ってない。  「……本当に?」  「うん。……なに、アダルトグッズとかは出てなかったよ」  「持ってねーよバカ。あーバカらし。お前じゃねーから持ってねーよ」  「俺も変なのは持ってないですぅー」  対応としては正解だった、みたい。良かった。  そして12月。  「やっぱ狼コスって冬はうらやましいわ。俺なんか見てよ、カイロ無双よ」  「今日は赤ずきん寒そうー。打ち上げは鍋だな」  「大賛成」  「すみません、『赤ずきんの銃弾』コスですよね? お写真いいですか?」  「どうぞどうぞー。ツブッターにアップも大丈夫ですよー」  「ありがとうございます!」  俺からも、つーさんからも、あの日の話はしていない。  つーさんは変わりなくいつも通り、俺の隣に今日もいる。  いいよ、つーさん。ずっと正体を隠していてね。  俺もずっと、隠し続けるから。  だからずっと隣で、俺だけの狼でいてね。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加