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あの頃の記憶
久しぶりにこの街に来た。
今でも変わらないこの街に来るとなんだかすごく切なさが込み上げてくる。
あの頃みたいに毎週末通うことはもうなくなってしまった。
店が近づくと懐かしいあの人の顔がちらつき、いつものように相変わらずな口ぶりで話すのが目に浮かぶ。
自然と歩くスピードが早くなる。
店の手前の路地裏を通りかかると、そういえば昔、その辺でおかしな拾い物をした時のちょっとした出来事が思い出された。
ああ、そんなこともあったっけな。
一人でクスッと笑いながらそこを通りすぎ、懐かしいラビリンスの扉に手を掛けた。
時々今でもこうして僕は気が向くとここにやってくる。
『ラビリンス』のマスターに会いに。
元気にしてるか確かめたくなった。
世話になった親のような彼とは表向きは店主と客。だけど僕にとっては自分を救ってくれた大切な人。
そして僕に愛し合うことの悦びを教えてくれた人…。
懐かしさと共に甦ってくるあの頃の記憶がこうして時々俺の足を勝手に向かわせる。
妖し気な雰囲気を今もこうして漂わせているその店の灯りが、今日も男たちを惹き付け、呼び寄せている。
『ラビリンス』
あの頃は足しげく通っては、男漁りをして、その日だけの相手探しをしてたことを思い出す。
あの頃荒れまくってた僕はそんなことをしているうちにマスターに声をかけられ、マスターに懐いた。随分いろんなことを教えてもらった。僕たちみたいな奴ら同士の愛し合い方も。
一から十まで手取り足取り。腰取り…。
いつの間にかそうしてここに入り浸るようになり、いつの間にかあの頃の僕にとってここが自分の居場所になっていた。
そんな僕が気にくわない鈴木君を見かけたのもこの店だった。
普段のあいつは仕事が出きるダンディーでやり手ないい男として周りのみんなから見られていた。
僕以外、周りのやつはあいつの本性を知らない。
ここであいつを見かけた時の衝撃は今でも忘れない…。
*
「あれ?意外な人がこんなところに?変なところで会いましたね」
そう言って俺に近付いてきたのは職場の取引先の会社の課長の鈴木君だった。
ラビリンスのカウンターの一番奥の席。僕の定位置だったその隣にやって来た鈴木君はあの時かなり酔ってた。
取引先の職場では主に向こう側のメインの担当者として僕とは何度か仕事上、関わってはいたけれど個人的にプライベートな話をすることは無かった。前から男のフェロモンを無駄に振り撒いてる気にくわないやつだった。
そうだったか…。
こいつも同類だったとは…。
店内で男たちを見回しては目線を送るあいつの獲物を狙う目は昨日今日始まったものとは違うなにか余裕のある目をしていた。
巧みに近づく姿もこなれた感じでとてもスムーズだった。
そうしてあの夜、あいつはついに僕にも近付いてきた。
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