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古巣
店の前に立つと、その扉を開ける瞬間、なんとなく深呼吸した。
扉を開けると中からムワッとした湿った空気が外に漏れだす。
夕方前の天気のいい外の爽やかな空気を遮るその重い扉は、なんだかそれが境界線のようで、まるで外界との繋がりを断ってるかのようにいつも感じる。
この向こう側の空間は僕たちだけの特別な世界。僕らはその居場所を求めてここに集う。
中に入ると薄暗い店内の奥のカウンターの向こう側に懐かしい人が立って俯き、何か作業をしていた。おそらく夕方からの営業で出す料理の仕込みの最中だろう…。
「悪いね、まだ準備中だ…」
顔もあげずに懐かしいその声がそうこっちに声をかけてきた。
「マスター、僕だよ♪」
するとカウンターの下がり壁の下から屈むようにしてこっちを覗いてくる懐かしい笑顔がこっちを見た。
「なんだ、お前か公和…」
「久しぶりだね♪」
変わらないその笑顔がいつものように僕を出迎えた。
「誰かと思ったら。」
そう言って一旦手を止め作業を中断した。
「珍しい人が来たもんだ…」
そうやって顔を上げて、なんでもないような顔でいつもみたいに話しかけてくる。
随分久しぶりな人に言うような言葉とは思えない。
散々世話になっておきながら、勝手に離れていった僕を、なにもなかったかのようにいつも通りにこうやって、平気な顔してそんな風に言ってくる…。
「マスターがちゃんと生きてるか確かめに来てやったんだよ♪」
近くにあったスツールをまたぎカウンターに肘をついて腰かけた。
「バカいえ。俺はこうみえてもまだバリバリの現役だぞ。」
「元気なその口だけは変わらないな。」
マスターが変わらないでいくくれるからこうして僕の方も気軽に会いに来やすいんだってことをちゃんとわかってくれてる。
「なんだ、お前は相変わらずか?好い人は出来たか?」
「好い人?僕はいつだって好い人に囲まれてるよ。お陰さまでね。マスターがその道に導いてくれたから…」
「悪かったな。俺が清かったお前を喰ったばっかりに…」
「今さら言ってる♪」
お互いに静かに笑いあえるこの独特な空気感が心地いい。
「だけどお前だってあの頃すでにそのケがあったろ?」
「でも僕の初めてのそれを奪ったのはマスターだし♪」
「今でも気に入ったやつに片っ端から声かけてんのか?相変わらず。」
マスターもカウンターの向こう側にたったまま肘をついて向かい合う。
随分白髪も皺も増えてた。
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