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リンタロウは強い目眩を覚えてよろめいた。肉体の疲労も、状況の飛躍も、彼の心身を激しく苛む。
「どうしてこうなった。僕は船に乗って、ハネムーンを……」
そこで脳裏に電撃が駆け抜ける。何を差し置いても大事な事を、ようやく思い出したのだ。
「ユリはどうした!? まさか、あの化物に……!」
リンタロウは半狂乱になって名を呼んだ。そして狭い島内を駆けずり回る。端から端まで、せいぜい徒歩数分の広さだ。くまなく捜すのに、大した時間は掛からなかった。
「どこだ、ユリ! 返事をしてくれーー!」
返答は無い。そもそも生きていたとして、同じ島に流れ着くとも限らない。理性では勘づいていても、叫ばずには居られなかった。
だが、想いが天に届いたらしい。岩場の陰に隠れた波打ち際に、1人倒れ伏す女性を見つけた。
長い黒髪に青のカーディガン、そこまで見た瞬間には駆け寄った。
「ユリ! 大丈夫か、しっかりしろ!」
「……ウェッ。ゴホッゴホ!」
「良かった、気がついた!」
リンタロウは、ユリの半身を起こしては、強く抱きしめた。抱き返される力は弱々しいものの、生命の温もりが感じられた。
「本当に良かった、君が無事で。それだけでもう……」
「リンタロウ……。私達、助かったの?」
「ええと。それについては、まだ分からない」
「でも、陸地に来れたんでしょう?」
「まぁね。陸は陸かな」
ロケーションは最高に最悪だった。四方八方に島影は見えず、自力での脱出は不可。
次善の策は、島の資源を活用し、どうにか生き延びながら救助を待つ方法。しかし、それも不可。
ここは一面が岩場という、巨大な岩礁だった。まともな草木は1本すら生えておらず、大地の恵みなど皆無。つまり果実やキノコを食料にするだとか、草葉や棒切を活用する、という手段を取りようがないのだ。
絶望的な環境下だが、リンタロウはユリに微笑んだ。ともかく不安感を払拭してやりたかった。
「とにかく、腐ってても始まらない。少しでも使えそうな物を集めていこう」
「うん。やれる事は何でもやろう」
「体は大丈夫? 立てる?」
「たぶん平気」
こうしてリンタロウは、百人力の想いで探索を始めた。だが、再考するまでもなくスペースは狭く、そして乏しい。何かを作ろうにも材料が全くない。家屋、寝床、火を起こす燃料さえもだ。
それでも、冷静に探してみると発見はある。完全な岩場という訳ではなかった。
「ここら辺は少し苔が生えてるね。養分はどうしてるんだろ?」
「ねぇ、ここに小さな水たまりもあるわ。魚とかは居ないけど」
「そっか。雨でも降ったのかな」
それからは波打ち際へと降りてゆく。砂浜があるのではなく、段々に連なる岩場が海面に続いているだけだ。高低差が厳しいので、登り下りには注意が必要だ。
「ユリ。危ないから、君は上で待ってなよ」
「一緒に居させて。また海に落ちたらと思うと、心配で仕方ないの」
「いや、あの日は誰かに押されたからで……。ンンッ!?」
「どうしたの? 何か気になる事でも?」
「そうだよ。そもそも誰の仕業なんだ?」
今でも、背中の衝撃は克明に思い出せる。人がぶつかった等と言う生易しいものではない。何か、強い意志を感じさせる、強烈な力だった。
しかし落下中、すかさずデッキの方を見返したのに、人の姿は無かった。妻のユリが居ただけだ。
(だとすると、ユリが犯人って事になるけど……いやまさか)
それは立ち位置からして有り得ない。リンタロウの隣に立ち、両手を手すりに預けていたからだ。人体の構造上、ユリが背後から襲うなど不可能だ。
それにリンタロウが落ちるのに合わせて、彼女も船から飛び降りた。身の危険を一切顧みること無く。もし犯人ならば、まず自分の安全を確保した上で、アリバイ工作を企むハズだ。
つまりユリは無実。犯行は第三者のものと考えるべきである。
「そうだよ、一瞬でも疑った事を恥じるべきだ。そもそも犯人が分かったところで、今は何の役に立たない」
「どうかしたの? さっきからブツブツと」
「ううん。ごめん、気の迷いだから」
改めて波打ち際を探ると、意外や意外。流れ着いた文明を手にする事ができた。
「これは、ペットボトルのキャップかな。何も無いよりマシかな」
「こっちにはプラスチックのボウルが落ちてるわ」
「アハハ。投棄ゴミの類だろうね。海を汚された結果だけど、おかげで助けられたよ」
一応の収穫を手にして、再び岩場へと戻った。
資源が皆無と思われた岩礁だが、何かしらある。漂着物という形で、海の恵みに預かる事が可能だった。運に頼る部分が大きすぎるものの、贅沢は言っていられない。
「しかしマズイな。漂着物頼りだと、長くは保たないぞ」
「食料源が無いものね」
「それもだけど、水源が無いのは致命的だよ。湧き水の1つでもあれば、結構違うんだけどさ」
「やっぱり、海水を飲むのは危険なの?」
「塩分が濃すぎるからね。いくらガブ飲みしたって、排尿量に負けちゃう。トータルでマイナスなんだ。だから大体は、海水を蒸留させるのが定番だけど……」
その時、リンタロウは岩場の水溜まりを見た。雨水であれば辛うじて飲める。最早、衛生面など二の次だ。
期待半分。指先を水面に浸し、舐めてみる。だが透かさず吐き出した。
「ダメだ、これは海水だよ」
「そうなの。残念ね」
「いや、待てよ。ボウルとキャップか。土台は岩で作れば良く……」
「リンタロウ。どうかしたの?」
「水源が出来るかも。効率は最悪だけど」
「本当に!?」
「待ってて。少し試してみるから」
リンタロウは、周辺から小岩を集めた。サイズはなるべく揃うよう選ぶ。それを水たまりの周辺に並べて、台座らしき物を作る。その上に、海水で満たしたボウルを設置。
また、水たまりの中央に平たい岩を置く。そこにペットボトルのキャップを上向きにして設置。こちらは受け皿だ。
最後に、脱いだワイシャツで装置をグルリと囲めば完成だ。
「出来たよ。自然蒸発による蒸留装置だ」
「凄い……。本当に有りモノで出来ちゃった……」
「さっきも言ったけど、効率は悪いよ。本当は沸騰させたりするんだけど、ここには燃料も着火装置も無いからね」
「ううん。あるだけで十分だと思う。ところで寒くはないの?」
「今のところは、Tシャツだけでも堪えられそう」
「寒くなったら教えてね。いつでもカーディガンを貸してあげるから」
「そしたら君が、ワンピース1枚になっちゃうでしょ。そのまま着てなよ」
そんな会話を重ねるうちに、リンタロウは違和感を覚えた。やがて寒気を誘うようになる。
その様子を目の当たりにしたユリも、すかさず異変を察知した。
「ねぇ、リンタロウ。少し気になるんだけど……」
「分かってる。島が、この岩礁が小さくなってるよ」
「もしかして潮が満ちてきた?」
「マズイぞ! 潮溜まりがあるって事は、ここまで海水が来る!」
「どうしよう、また海に飲まれたりしたら、今度こそ!」
「ともかく一番高いところへ避難しよう!」
リンタロウは、せっかく整えた水源をバラした。そして僅かな資源を携えつつ、一層狭い岩場を登り詰めていく。
日が暮れるに従って、海水は上昇を続けた。その成り行きを、2人は祈る気持ちで見守った。
結論から言うと、両者は無事である。満潮であっても、彼らが逃げ込んだ岩場だけは、水没を免れたのだ。
「はぁぁ……辛うじてって所だね」
避難所は平たく、一応のスペースがある。リンタロウは岩場に直接寝そべった。
それと同時に左腕をユリに枕として与え、右手にはキャップ入りのボウルを持つ。こんな状況で夜空を見上げるなど、もちろん未経験の事で、想像した事すら無かった。
「何だか、とんでもない事になったな。せっかくのハネムーンだったのに」
「そうだね。少し残念ね」
「気のせいかな。ユリが、これまでで一番生き生きして見えるけど」
「そうかな。おかしいかもしれないけど、次に何が起きるかワクワクしちゃって。不謹慎だよね……?」
「アハハ。まぁ、パニックになって泣き喚くよりは、遥かにマシだと思うよ」
「ごめんなさい。リンタロウが真剣になる隣で、ヘラヘラしてて」
「気にしないで。むしろ君の新たな一面が見れて、嬉しいくらいだよ」
非日常は人の心を丸裸にする。そして隠された本質が露わになるのだ。
船旅前は、ハネムーンにそんな意図を含めていた。今は予定を大きく変わりはしたものの、少しずつ成果が現れ始めた。リンタロウは素直に喜ぶべきかと、苦笑を堪えきれない。
何はともあれ、当面の目標は生存、そして脱出である。夜風の吹き付ける中、互いに身を寄せ合って眠りについた。
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