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 リンタロウは眩しさで目が覚めた。洋上に浮かぶ太陽を遮るものは、何一つ無い。 「もう朝か。今は何時くらいだろ……イデデッ!」  呻いた後に身を起こすと、今度は激痛に見舞われた。腰や背中が弾け飛びそうである。岩盤の上で直に眠ると、ここまでダメージを受けるものかと、痛みによって教わった想いだ。 「寝床は何か工夫したいな……。ところで、ユリはどこだ?」  目覚めると、隣に居たはずの妻が居ない。慌てて四方に目を向ければ、すぐに姿を見つけた。先行して寝床の岩場から降りていたのだ。  潮は既に引いており、岩礁も当初の広さを取り戻していた。リンタロウは速やかにユリの元へ向かった。 「おはよう。突然居なくなったから、心配したよ」 「ごめんなさい。昨日の装置を準備していたの。見様見真似なんだけど」  その言葉に偽りはない。等間隔に積んだ岩、海水で満ちたボウルを乗せ、その真下に受け皿のキャップ。  どこにも落ち度がないどころか、実に整然としている。これにはリンタロウも素直に驚かされた。 「凄いな、完璧だよ。1回見ただけで、細かなバランスまで再現するだなんて」 「うふふ、ありがとう。あとはワイシャツを巻き付ければ完成するのだけど」 「そうだね。夜は冷えるから着込んでたんだ」  仕上げはリンタロウが施した。と言っても、脱いでグルリと巻いただけだ。 「よし。それじゃあ、次の仕事だ。どうにかして食料を見つけよう」 「賛成。さすがにお腹が減って、辛く感じてたの」  今日も岩礁を探し回る。時間が早いせいか、潮溜まりの数が昨日よりも多い。収穫に期待が持てたのだが、結論、空振りであった。 「何も無しか……。魚の一匹でも迷い込んでたらなぁ」 「ねぇ、やっぱり海で見つける以外に方法は無いと思う」 「そうかもしれない。でも釣り竿もエサも無いし、素潜りだって危険だろう。迷いどころだよ」  昆布、海苔、何でも良いから食えそうなものよ見つかれ。  そう念じながら狭い岩場を彷徨うものの、無いものは無い。仕方なく、更に下へと降りて、波打ち際までやって来た。 「潮の流れが分からないもんな。命綱も無しに飛び込むのは自殺行為だよ……」  足元に注意を払いつつ探索。すると今度は成果があった。あまりにも異質なものが、知らぬうちに漂着していたのだ。 「何だこれ。木箱だよね?」 「そうだと思う。でも、どうしてこんな所に?」 「輸送船から落っこちた、とか? それよりも運び上げよう」  木箱は大きくない。両手で抱えられるサイズだ。そして見た目ほど重たくも無かった。最悪、空っぽの可能性もある。  今度こそ成果が欲しい。そう祈りつつ、広い岩場へと戻った。そして手頃な岩を叩きつけて、木箱を端を破壊した。その中身はというと……。 「ううっ……。何も無いかなぁ」 「待って。隅っこに何かあるわ。リンタロウの位置からじゃ見えないのかな」 「死角にあるって事? じゃあこの辺かな」    開けた穴から腕を突っ込み、まさぐる。すると指先が何かに触れた。同時に金属音も鳴る。  喜び勇んで腕を更に押し込み、次は全指で強く掴む。ビニル包装の感触。久しぶりに文明を肌で感じると、それを力任せに引き寄せた。 「缶詰だ……しかも2缶セット!」 「良かったわね! 白桃と黄桃ですって、美味しそう」 「甘さ控えめのカロリーオフか。今だけは、逆にカロリーを増やして欲しいけどね」  健康志向の是非はさておき、缶詰の形状が気掛かりだ。彼らは缶切りも刃物も持ち合わせていない。最悪、岩で叩き壊す事も考えなくてはならなかった。  しかし杞憂だった。缶詰はいずれもプルトップ式。この時ばかりは、プルタブが救世主のごとく眩(まばゆ)く見えた。 「開けられるね、開けちゃうよコレ」 「どうぞどうぞ」 「ではご開帳……うわぁ〜〜」 「ほわぁぁ〜〜」    銀色の容器の中に、目もくらむ程に均整な、金色の果実を見た。潤沢なシロップスープも垂涎ものだ。濃厚な甘い香りが、頭痛にも似た喜びを引き起こしてしまう。 「それじゃあ、ユリからどうぞ」 「いやいや、ここは旦那様から」 「ええと、ありがとう。お言葉に甘えまして。記念すべき一口目を」  手づかみ、大振りな果実を齧る。脳を貫かんとする糖質は、もはや暴力であった。危うく気絶しそうになる。 「ジューシー、とにかく甘い。君も食べてみなよ」 「じゃあ私も失礼して」 「先を譲ってくれたから、続けて2口どうぞ」 「ハムッハム。んん! 美味しい! ダダ甘いけど美味しい」 「きっと普段の暮らしじゃ、ここまで感動しなかったよね」 「じゃあ今度はリンタロウの番ね。2口続けてどうぞ」 「良いの? 悪いねぇ」  ハムッハム。2クチドーゾ。ハムッハム。  そうこうするうちに、黄桃の果実は完食。そしてシロップスープの回し飲みまで、滞り無く完遂した。 「ズゾゾッ。ふぅ、ごちそうさま〜〜」 「どうかな。多少は満足したかな?」 「うん、ひと心地ついた気分。リンタロウは?」 「僕も一応は。それにしても、1缶を丸っと食べちゃったね」 「そうね、さすがに暴挙だったかしら……」  貴重極まる食料だった。それをイチャつき半分で平らげてしまった。恐らくは、濃厚な甘い誘惑が、計画性や危機感を消し飛ばしてしまったのだろう。  何にせよ猛省すべきである。 「じゃあね、残りの1缶は大切にしよう。最後の砦として」 「その方が良いかもね。ルールを決めておかないと、すぐに食べ尽くしちゃいそう」 「まぁ、他にも食料が見つかれば、口うるさく言う必要も無いけどさ」  それからも捜索は続けられた。しかし、幸運も長続きせず、新たな漂着物を見つける事は無かった。  結局、半日がかりで手に入れた物と言えば、キャップ1杯分の真水だけだ。今の蒸留装置では、この生成量が限界である。  僅かな水であっても、回し飲みして分け合った。 「ふぅ、やっぱり水源が厳しいね。この先もキャップ1杯だけだと、脱水症状でピンチになるな」 「そうは言っても、漂着物に頼るしかないのよね?」 「悔しいけど、運頼みだね」 「運次第なら、凄く良いものが流れ着く事も有りえるよね。例えばミネラルウォーターとか、紙パックのジュースとか」 「それ良いね」 「災害用品セットとか、キャンプグッズとか」 「それ最高だね、だいぶ楽になると思うよ」 「楽観視するのは危ないけど、希望を捨てるのも良くないと思うの。だから今は、明日に流れ着くものを考えながら過ごしましょ」 「そうだ。君の言う通りだよ。どうにもならない事で悩んだって、何も解決しないしね」  リンタロウは、肩の荷を降ろした気分になる。それからは何が欲しい、何が嬉しいと、漂着談義に華を咲かせた。 「次の缶詰は別のジャンルが良いよね」 「別って、リンタロウは何が欲しいの?」 「甘いフルーツじゃなくて、ご飯になりそうなもの。ツナ缶、サバ缶とか」 「ミネストローネみたいな汁物は?」 「良いね。水分も野菜も採れるし」 「食べ物以外だったら何が良いかな」 「どうだろ。ライターとか、燃料?」 「とんでもない物が流れてくるかもね」 「それって、例えば?」 「あっ大変です。アナタのもとに大量の金塊が流れ着きました」 「要らないよ。ここじゃ使えないし」 「箱には膨大な札束も入ってました。これで大金持ちです」 「それも邪魔にしかならないよ。使い所が無いし」 「どうだ明るくなったろう」 「火を点ける道具が無いよ」 「じゃあ札束の陰に隠れて、マッチもありました」 「いや待って! そもそも誰がそのセットを作ったの!?」 「伝説の成金コスプレイヤー?」 「お金を燃やすのは犯罪なんだよ」 「じゃあ札束は玩具のヤツでした、残念」 「尚更要らないよね」  他愛もない会話を重ねるうち、リンタロウは活力に包まれた。それと同時に、ユリに対して感謝の情が込み上げてくる。 (芯の強い人だ。こんな時でも希望を持ち続けてる。やっぱり最高のパートナーだよ)    この夜、リンタロウは温かな想いとともに眠りについた。まだ見ぬ明日に、望外な喜びが有ることを期待しつつ。  しかし運命とは人を弄ぶもの。彼らの希望が半分どころか、欠片すらも叶う事は無かった。
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