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 ユリは立ち上がった。語り口調も柔和なままで、立ち振る舞いすら自然である。  しかし首が捻じ曲がる様は、生者の姿ではない。いやそもそも、今となっては人間であったかすら疑わしい。 「ユリ、君は一体何者なんだ!」 「私の事よりさ、リンタロウ。アナタこそ自分の事を知らなすぎよ」 「どういう事だ」 「さっきの右ストレートは悪くなかった、でも正直言って期待外れね。せっかく無人島まで連れてきて、ここまで追い込んであげたのに。ヒメノリンの末裔って、案外大した事ないのね」 「意味が分からない! 悪夢なら早く醒めてくれ!」 「現実逃避してる場合かしら? その現実がお終いになっちゃうわよ」  その時、ユリの背後で何かが爆ぜた。初めは野太い触覚に見えたが違う。真っ赤な触手だ。彼女の背中から、無数の触手が出現すると、うち1本が勢いよく伸びてきた。  それはアッサリとリンタロウを捉えた。そして腹に巻き付いては、激しく締め上げる。 「こ、この感触は、どこかで……!」 「察しが悪いから教えてあげるわ。全部私が仕組んだこと。アナタを船から突き落としたのも、海中に引きずり込んで気絶させたのも。そして、絶海の岩礁まで連れてきたのもね!」 「一体、何のために! グフッ」 「もちろん殺し合うためよ。史上最強の男が、どれほど強いのか。私をどこまで楽しませてくれるか。知りたくて仕方なかったのよ」 「僕は、平凡なサラリーマンだよ……ゴホッゴホ!」 「そうみたいね、つまらない人。だけど、さっきの拳に免じて、楽に殺してあげるわ」  その時、締め上げる触手が大きく動いた。同時にリンタロウの耳には、何かが弾ける音が響く。  あとは為すがままだ。岩場の方へ放り投げられ、投げ出した手足を整える事も出来ず、口からは血が溢れるに任せた。そうまでされても痛みは感じられない。ただ、凍えるような寒気に苛まれるだけだ。 (僕は騙されたのか。なぜ疑わなかったのだろう。最愛の人が、実は触手のバケモノである可能性を……!)  普通はそうだ。疑う方がどうかしている。しかしリンタロウに関して言えば、言葉にする権利がある。彼は今こうして、妄想レベルの不運に見舞われたのだから。 (許せない。悔しい。こんな暴挙、許せない)  命が消えゆく間際であるのに、リンタロウの闘争心は冷めやらず。いや、むしろ燃え上がるかのように、一層猛々しい。  その純粋な想いが、ささやかな奇跡を呼び込んだ。忘れかけていた記憶を手繰り寄せたのである。  リンタロウは薄れゆく意識の中、曽祖父を思い出した。老齢ながらも威厳を損なわない、精悍な姿を。 ◆ ◆ ◆ 「聞きなさいリンタロウ。まずワシは、お前に謝らねばならん」  幼きリンタロウは、板張りの道場で曽祖父と向き合っていた。冷たい床板の上で正座、かつ2人きり。今すぐ逃げ出したい衝動に駆られるが、一度として成功した試しはない。 「リンタロウ。お前は傑物なのだ。魔法少女ヒメノリンの才気を、最も色濃く引き継いだ天才児だ。当代一どころか、歴代一の勇士となる事も夢ではない」  これは褒められたのか、とリンタロウは思う。しかし、その割に曽祖父の顔が暗い。なぜ瞳が沈んだ色であるのか、幼年の彼には理解できなかった。 「しかし本家の長老共が、全く耳を貸そうともせぬ。男子では魔法少女のスカートを履けぬという、実にくだらぬ理由でな。奴らの目は節穴か。魔法男子っ娘にも十分魅力があるだろうに」  曽祖父の話は難しい。そして長い。リンタロウはアクビを噛み殺す事に集中した。 「ともかく、ワシの指導はこれまでとなる。だが鍛錬は続けよ、己の身を守るためにもな。いつの日か、お前の命を目当てに、魑魅魍魎なるバケモノが押し寄せて来るだろう。願わくば、自己練達の情熱を絶やさん事を」  曽祖父は厳(いかめ)しさを保ったままで、頭を下げた。それに合わせてリンタロウもお辞儀するのだが、内心ではこう思う。  支離滅裂な言葉ばかり、きっとボケたんだろう。早いうちに施設へブチ込まなくては、と。 ◆ ◆ ◆    そこまで振り返ると、リンタロウは現実に引き戻された。視力はほぼ無い。耳に微か、波の打ち付ける音と、ユリの哄笑が聞こえてくる。 「ごめんよ、曾祖父ちゃん。信じてあげなくて。陰でこっそりボケ老人なんて悪口言って。全部、本当の話だったんだね」  その懺悔が、リンタロウの歪めるものを拭い去り、運命が正された。  類まれな才気を持つにも関わらず、開花する機会を奪われた幼少期。であるのに、成人したのちに、眠れる才気を理由にバケモノから狙われるという矛盾。  その強烈なズレが、リンタロウに未曾有のパワーをもたらしたのだ。 「うおおおーー! 僕は伝説の力に目覚めたぞーー!」 「何ぃ!?」 「行くぞユリ、いやバケモノめ! 魔法少女パンチ!」  亜音速の拳打が、触手の1本を撃ち抜く。確実に怯ませはしたのだが、それだけだった。 「グッ。中々だが、そんな技は織り込み済みよ。立ち技の拳など、ヒメノリンは百万発ほど披露したと聞く。対抗技だって既に知れ渡っている――」 「だったらこれはどうだ! 魔法少女ソバット!」 「なっ、その技は! グワァァーー!?」  ユリだった体に痛烈な蹴りを浴びせた。今度は効果テキメン。怪物の体は、絶叫するとともに悶絶した。 「どうだバケモノめ。思い知ったか!」 「魔法少女の技に、足技など無かったハズ……。それがなぜ!」 「単純な答えだよ。スカート姿の女子が、蹴りを好む訳もない。だが僕はジーンズを履いている!」  リンタロウは誇らしげに告げた。何がどう優れているのかは、理解に苦しむが。 「ふふ、うふふふ。なるほどね、確かに強い。でも底が知れるわ」 「何ぃ!?」 「やはり紛い物よ。いかに技名を連呼しようとも、アナタは魔法少女ではない」 「うっ、それは……!」  正論である。今のリンタロウは魔法少女を自称するだけで、見た目は単なる三十路男だった。そのズレが恥辱の念に通じ、技本来の威力を引き出せずにいた。  ここが限界か。リンタロウは静かに冷や汗を流した。その気配はユリに、怯えとして伝わってしまう。 「どんでん返しまでは至らないかしら。やっぱりツマらない。この程度ではね」 「くっ……くそう!」 「もう茶番はお終いにしましょう。一気に終わらせてあげるわ」  ユリは、触手をバネのように扱い、天高く飛翔。そして滞空すると、両手を突き上げて構えた。  その手元には、みるみる内に魔力が貯まっていく。今のリンタロウですら恐怖を覚えるほどの莫大なエネルギーが、急速に集まりだす。 「さぁリンタロウ。太平洋ごと消し飛びたくなかったら、打ち返してみなさい」 「うぅ……一体どうしろと……!」  リンタロウは狼狽えるばかりだ。しかし、脳裏に曽祖父の言葉が、最後の助言とばかりに蘇る。 ――良いかリンタロウ。この技は強力だ。おいそれと使ってはならぬ。しかし、ここぞという場面になれば、躊躇わずに撃て。  それを機に、リンタロウは構えを変えた。両手を、さながら天秤の受け皿の如く左右に浮かべ、力を込めていく。  魔力が集約される度に、岩礁だけでなく、付近の海面も激しく揺れた。 「また付け焼き刃の技かしら? 良いわ、最後の悪あがきを見ててあげる!」  ユリが掲げた両手を振り下ろした。今、彼女の全力が発動する。 「愚昧な地球人どもめ、まとめて燃え尽きろ! デッドエンド・フレアーーッ!」  発動した魔法は、巨大な火球だ。それがリンタロウに向かって一直線に落下してくる。さながら彗星、あるいは太陽が降ってくるような錯覚すらあった。  しかしリンタロウに焦りはない。万全な力が溜まるまで微動だにしなかった。 「ユリ。君と過ごした日々は、それこそ昨日までは、幸せそのものだったよ」  満ちた。構えは変わり、両手をユリに向けて突き出す。後は力を振り絞るだけだ。 「さよならだ! スターライト・クルセイド!」 「そんな、私の最大最凶魔法が、いとも容易く! グワァァァーー!! アァァァーーーッ!!」  リンタロウの放つ金色の波動は、火球もろともユリの体を飲み込んだ。そして、魔法が消えると、何もない青空だけが見えた。完全勝利である。 「終わったんだ、何もかも……」  そこでリンタロウは、膝を折って倒れ伏した。全身から力が異様な速さで抜けていく。  それは「死」という言葉を連想させるほど、凄まじいものだった。
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