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6
激戦を土壇場で切り抜けたリンタロウ。しかしその反動は、筆舌に尽くしがたいものがあった。
全身にみなぎった力は霞となって消え、今は名残すらも無い。出来る事と言えば、ただうつ伏せになり、死体も同然に倒れ伏すのみだ。
「もしかして、命を代償にしたのかな……」
するとそこへ、何かがフワリ、フワリと舞い降りた。それは綿毛の如き軽やかさで、リンタロウの眼前に落ちる。
「ユリ……」
「リンタロウ。凄かったわね。まさか、これほどとは……」
ユリは、愛用のカーディガンを吹き飛ばされ、ワンピース1枚のみの姿だ。背中の触手も全てが焼け落ちており、ごく普通の女性に見える。
今、愛を誓い合った者同士が、再び顔を合わせた。どちらも満身創痍。うつ伏せで見つめ合うという、極めて稀有な状況である。
「トドメを刺してよ、リンタロウ。このまま衰弱なんて嫌」
「君こそ、僕を殺してくれ。もう体が動かない」
「気合か根性で、頑張って」
「その根性すら使い果たしたよ」
「頼りがいの無い人」
「うるさいな」
つい先程まで殺し合いをした仲とは思えぬ、親しげな口ぶりだ。
腹に包み隠すべき事は何もない。お互いが心を丸裸にし、誰にも邪魔されない孤島で、本気になって殴り合った。
思惑を隠すといった小細工は、もはや企む気にもならないのだ。
「ユリ。最期に1つだけ」
「何、恨み言?」
「愛してるよ、今でさえ」
「騙されてたのに?」
「騙されてても」
「私だって愛してる」
「それは嘘だね」
「信じてくれないの?」
「この島へ拉致するために、愛を騙ったんだろ」
「愛してるからこそ戦いたいの。分かる?」
「分からないね。バケモノの理屈は」
「ひどい。泣いちゃうかも」
「良いんだよ、泣いたって」
「愛してるから」
「それは嘘だよ」
「信じなくても良い。愛してる」
「もう騙す意味なんて無いよ」
「それでも愛してるから」
会話は淀みなく続く。死に際とは思えないほどに、言葉も明瞭だ。
「リンタロウ、少しは元気出た? トドメを刺して」
「無理だね」
「私が居なければ、桃缶を独り占め出来るよ」
「要らないよ。君こそ僕を殺して、全部食べたら良い」
「私だって無理」
「力が入らないから?」
「それは秘密」
「この期に及んで?」
「秘密は魅力のエッセンスなのです」
「じゃあ僕も秘密を作る。絶対に明かさないヤツを」
「ずるい。それは後出しジャンケンだよ」
「ズルは大人の嗜みだから」
そんな会話を重ねるうち、2人は耳慣れぬ音を聞いた。空だ。けたたましい音が響いたかと思うと、今度は激しい風が打ち付けてきた。それは軍用ヘリだった。
リンタロウ達が繰り広げた激戦は、たちまち周辺国を騒がせた。その為、付近の軍事施設より偵察機がやって来たのである。
結果、リンタロウ達は岩礁からの生還を果たした。
それから2人はどうなったか。公的な記録では「行方不明」として処理されている。
一説によると、生還直後、どちらも緊急病棟に運ばれた。リンタロウは大きな問題もなく、精密検査と治療が施された。
しかしユリの担当医はパニックになった。その肉体構造が、人類の物とは明らかにかけ離れていたからだ。そこで生還者達は釈明したらしい。バケモノであると自白したとも、生魚の寄生虫に当たったと説明したとも。あるいは、人知を超えた力で逃走したとも伝えられる。
この衝撃的な珍事は、一時期メディアを騒然とさせた。しかしその鮮度も一ヶ月と保たず。世間は、この不可思議なカップルの事など、すっかり忘れ去ってしまった。
――そんな事件から2年後。埼玉県の某市にて。
「それじゃ、会社に行ってくるよ」
スーツ姿の亭主が玄関口で告げた。すると台所から小走りで、彼の妻が駆け寄ってきた。スリッパ履きなので、どこかヒヨコめいた足さばきである。
「気をつけてね。今日は遅くなる?」
「どうだろ。繁忙期直前だから、急な業務が入るかも。どうかした?」
「ホラ、今日は記念日じゃない。缶詰を買っておいたから」
「言われてみれば、もうそんな時期か」
この夫婦には変わった習慣がある。毎年決まった日の夕食は、桃缶を食すというものだ。しかも1缶を2等分。果実はもちろんの事、シロップまでも均等に分けるのだ。
まだ連れ添って年月が浅いものの、欠かさず続けようと約束していた事である。
「おっと電車に遅れる。ともかく行ってきます!」
「はぁい。今日も頑張ってね、旦那様!」
亭主は妻の声援を浴びては、小走りになって通勤路を行く。燦々と降り注ぐ朝日も、まるで前途を照らすかのように思えて、彼は小さく綻んだ。
余談だが、ここ最近はとある夫婦喧嘩が問題となっている。人智を超えた争いぶりは、さながら神話の如く。ささいな余波だけで、街が1つ消し飛ぶとも噂された。
しかしそんな話は、この夫妻には関係ないだろう。平凡そうな三十路男と、それとは不釣り合いに美しい妻というだけで、一般的なオシドリ夫婦である。
「よぉし、今日は仕事をササッと片付けて、午後休でも貰おうかな!」
亭主は軽い足取りで駆けていった。柔らかい日差しが明るく照らす、アスファルトの道の上を。
ー完ー
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