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* * *
「それから、天女のようなその女性は、空高く上っていった。パパは見えなくなっても、しばらく空を見上げていたんだ」
「うーん、ロマンティック。私、うっとりしちゃった」
茜は両手を頬に当てた。
「でも……」
「でも?」
「パパ、もしかして、その天女さんのこと好きだったんじゃないの?」
「えっ、それは。いやっ……」
初恋であることを隠しながら話したはずだった。しかし、小学一年生とはいえ、女性として何かを感じ取ってしまったのかもしれない。
「そういうの、ウワキっていうのよ。ママに言っちゃおうかなー」
茜は頬をプッと膨らませた。
「でも、ママと会うよりもだいぶ前の話だぞ」
初恋を認めてしまうような発言を後悔したが、意外にも茜にはヒットした。
「そっか、付き合う前なら、ウワキにならないよね。ユミちゃんがそう言っていた」
茜はパッと表情を明るくした。
今時の小学生は、一体、どんな会話をしているのか。苦笑いになる。
「ママと茜が、パパにとって一番だよ。それも、断トツの断トツでトップ」
「本当?」
「もちろん」
これは本心だ。
一番も、二番もない。二人が同率で断トツのトップ。この言葉に茜は満足したようだった。
「パパ、その天女さんに会いたい?」
機嫌を直した茜は、首を傾げて小悪魔のようにニッと笑った。
上目遣いで見上げる茜に、どう答えたものかと思案する。返答によっては、また機嫌を損ねかねない。
「そうだね、会いたいな。でも、その時はママと茜も一緒にね」
「じゃあ、駅前のケーキ屋さんのケーキをお土産にもって行く!」
「でも、彼女に会うには、月まで行かないといけないぞ。今から宇宙飛行士にはなれないので無理だな」
俺の言葉に茜は、首をプルプルと振った。
「茜、月に行く方法、思い付いちゃった」
「月に行く方法?」
期待せずに聞いてみることにした。
「パパがね、ダイエットするの。お腹についたお肉を減らせば、天女さんみたいに軽くなれる。そうすると、同じ方法で月に行けるじゃん!」
そう言ってから茜は、俺のお腹の肉をギューッとつまんだ。
「ははは、くすぐったい。でも、それはいい方法かも」
笑いながら茜の手を振りほどいて、彼女を抱き上げた。そして、二人で改めて月夜に視線を向けた。
――彼女に会いに月に行く……か。
別れ際に彼女は気になることを言っていた。茜を怖がらせたくないので、その部分は隠して話したのだった。
天女の羽衣から手を離す直前。
「また、会えるかな?」
俺は彼女に尋ねた。もう会えないだろうと心の中では分かっていた。
しかし、希望が欲しかった。「またいつか、どこかでね」そんな返答でも良かった。
しかし、彼女の発した言葉は意外なものだった。
――地球の技術は、凄まじい速度で進んでいます。そう遠くない日、月まで容易に来られるようになるでしょう。私たちは既に、その時のための準備を完了しています。でも……でも私は、偵察目的で来た私は、最後まで主張しようと思います。地球には優しい人たちが沢山いるって。
あっけにとられた俺の手から、羽衣がするりと抜けた。
最後に彼女は悲しそうに微笑んだ。
そして、満月に吸い込まれるように天へ上っていった。
そういえば最近、月の裏まで行けるロケットが開発されたとニュースでやっていたっけ。
俺はそんなことを考えつつ「寒くなってきたので、部屋に入ろうか」と茜に告げた。
(了)
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